安息日の律法は族長時代にもあった
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「6日創造説」への疑問です。>
安息日は世の創られた直後からずっと存在したはずですが、安息日>
の規定はなぜかアダムよりもずっと時代が下った出エジプトの時まで>
持ち越されました。実際、アダムからテラまでの族長たちも、アブラハム、>
イサク、ヤコブたちも、安息日を守ったという記述も、形跡もありません。>
申命記5:15は、創造の7日目の神の安息に結びつけず、出エジプト>
の出来事を思い起こすために安息日が制定されたと述べています。>
安息日はずっと昔から存在したはずですのに、どうしてこんなに時代が>
下がるまで安息日規定がなかったのでしょうか。>
6日間創造のわざが行われた後の神の安息が起源であれば、出エジプト>
の時からではなく、世の初めから聖なる安息でなければならなかったはず>
ですが。
1.族長時代から「恩恵による救い」と「律法による聖化」の原理はあった
聖書全体を流れているのは、「人間は自分の業績によっては救われず、ただ恩恵によって救われる」という「恩恵による救い」の原理と、「神の民は、神に属する者としてふさわしく、律法に従って歩まねばならない」という「律法による聖化」の原理です。パウロは、「律法によるのではなく、キリストの十字架を信じることによって救われる」と言いましたが、同時に、「召しにふさわしく歩みなさい」とクリスチャンに命じています。
この2つの原理は、族長の時代にもあり、アダム―アベル―セツ―ノア―アブラハム―モーセという系列において、この「恩恵による救いと、律法による生活の聖化」の原理が一貫して流れています。
アダムは、文化命令(創世記1・28)という律法を与えられていたと同時に、動物の毛皮を与えられ、罪を覆われました(業ではなく、恩恵による救いを象徴)。アベルの供え物が受け入れられたのは、犠牲を捧げたため(恩恵による救い)であると同時に、律法の規定を遵守し、最良の供え物を自分で持っていったためです(モーセ律法「供え物は最良のものでなければならず、しかも、自分で持っていかねばならない」は、族長時代に神によって与えられていた律法の明文化である)。ノアも、洪水後、祭壇に犠牲の動物を捧げています(恩恵による救い)。しかし、彼が洪水から救われたのは、神の御前に正しく生活していたからでした(律法による聖化)。(これは、けっして、彼の義が彼を救ったということを意味しているのではありません。恩恵によって救われた者は、当然のことながら、神の霊を受けているので、内側から変えられて、罪の生活を送ることができないのです。それゆえ、救われた人であるか救われていない人であるかの区別は、その行いによって明らかになるとイエスは言われたのです。「木は実によって知られる」と。)
アブラハムは、信仰によって義と認められました(「彼は信じた。それゆえ義と認められた」)。しかし、アブラハムが召されたときに、神はアブラハムに「わたしの前にまったき者であれ」と言われました。
このように、聖書は、これらの2つの原理がすべての時代において一貫していることを証言しているのですから、族長時代は「恩恵による救いの時代」で、モーセは「律法による救いの時代」であると述べるディスペンセーショナリズムの「時代によって原理が変わった」という考えが間違いであると分かります。
2.安息日の規定は族長時代にもあった
このような一貫性を見るときに、族長時代にも、律法があり、当然、安息日の規定もあったと考えられます。たしかに、モーセ律法のような体系的な法律文として記されていたわけではなく、恐らく口伝によって、親から子へ伝えられたのでしょう。モーセの律法のように、多数の家族からなる民族共同体を形成するための様々な規則(例えば、上訴制度や徴兵制度)は存在せず、家族として守るべき戒めだけであったのでしょう。
安息日は、民族共同体の形成に必要な規定ではなく、労働に関する規定ですから、族長時代にもあったと考えても不思議ではありません。アブラハムには多くの使用人や家畜がありました。彼らを休ませるためにも、神は安息日の律法を与えられたと考えることができます。その際に、神が「わたしが六日働いて一日休んだように、おまえたちもそのようにしなさい」と言われたとしても不思議ではありません。
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安息日が厳格に守られるようになったのはもっと時代が下がって、バビロン>
捕囚で国家が消滅し、ユダヤ教団が成立してからだといわれています。たしかに、バビロン捕囚の前に安息年は破られていました。しかし、安息日が厳格に守られていなかったかどうかは分かりません。荒野において、安息日の規定を破った人が処刑されています(意図的な律法違反は神に対する公然たる反抗とみなされたので)。
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創世記1章の創造記事は祭司資料で、バビロン捕囚の頃に成立したと言>
われています。イスラエルは太陰暦などの暦の知識とともに、1週間が7日>
であることも、7日毎の休日も、バビロンから学んだのではないでしょうか。>
そう考えるとはじめて、なぜこんなに安息日律法の規定が遅延したのか、>
なぜ7日目が安息日とされたのかがわかる気がいたします。モーセ五書を、様々な資料の寄せ集めであると考えるのは、聖書の霊感を信じない人々が作り出した文献学による憶測でしかありません。
こういう説を受け入れると、信仰そのものが滅茶苦茶になります。
聖書のすべてが必ずしも神の御言葉であるとは限らず、その一部もしくはかなりの部分が人間の恣意や創作によって毀損されているという前提で聖書を研究するならば、当然、「どこが本当の神の言葉であり、どこが後代の加筆であるか」という判断を人間が下さなければならなくなってしまいます。つまり、ここにおいて、キリスト教は啓示宗教ではなく、自然宗教になり、人間の判断が絶対になってしまうのです。信仰とは、自分の知恵に頼らず、書き記された神の言葉に信頼することにあります。どんなに人間の目で不可能に思えることでも、神のお言葉だからやってみましょう、というのが信仰者の姿勢だと思います。
マリヤは、まだ処女であったうちに、子どもが生まれると御使いに告げられました。「どうしてそんなことがあるのでしょう。わたしは、まだ男の人を知りませんのに。」と言いました。しかし、神の言葉は絶対だと信じていたので、「お言葉どおりになりますように」と判断を自分の理性ではなく、御言葉に委ねたのです。
01/08/23