科学とキリスト教
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出す科学者が増えていると聞きます。
キリスト教が頑迷な保護者のようになって科学を制約したのは、中世及び近世
のローマ・カトリック教会であったと存じます。
これは、スコラ学がアリストテレスの演繹的認識論を採用していたからであり、近世に、ベーコンが実証的科学を唱道してから、プロテスタント教会においては、実験と観察に基づく科学の方法論が認められていたわけです。
近世になって実証的科学が進んだにもかかわらず、ローマ・カトリック教会は、まだアリストテレスの科学観を捨てきれず、対応できなかったところから、近世においてキリスト教が頑迷になったという印象を受けるのではないかと存じます。
しかし、プロテスタント教会は、実証的な科学観を受け入れたため、近代科学は、主にプロテスタントの国において発達しました。(*)
(*)日本人にとってプロテスタントとカトリックの区別はつきにくいため、両者を混同してしまう傾向にあるのですが、11世紀ころからローマ・カトリックは、ギリシャの宇宙論を採用し、キリスト教の世界観をギリシャ思想によって編成し直しました。13世紀にトマス・アキナスにおいてこの教義が完成するわけで、それ以来、中世のカトリックのキリスト教は、「アリストテレス教キリスト派」のようなものになった。
それに対する反動として、ルネッサンスがあり、宗教改革があったのですから、単純に「近世キリスト教対科学」という図式を描くことはできないのです。
どちらも、中世のカトリック教会の教条主義に対する、本来の人間観・世界観を取り戻そうという運動だったわけです。
前者は、古代ローマ・ギリシャのヒューマニズムによる人間観・世界観の回復であり、後者は、聖書信仰に基づくヘブライズムによる人間観・世界観の回復でした。
そして、両者とも、科学的真理の探求については、演繹論を廃し、帰納論を採用した。
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最近は科学の限界を認識して、宇宙論にしても神に回帰しなく>
てはならないと言い出す科学者が増えていると聞きます。
科学の限界は、近世の17〜18世紀イギリス経験論において、指摘されていた問題であって、近代科学は、その批判に対して有効な回答を与えることができないままに今日に至った、今日になって科学の限界が意識されるようになったのは、これまで無視してきた批判についに対峙せざるをえない状況が生じたと見るべきではないでしょうか。
経験論は、人間だけから出発する認識論に立った場合、(1)事物の印象ではなく事物そのものを認識することが可能なのか。(2)本体の世界を認識することが可能なのか。
というデカルトの人間の認識能力に対する無限の信頼に対して2種類の批判を行いました。
現代の科学は、このような認識の限界を認めた上で、反証が起きない限り、それを真理とするという、「暫定的・蓋然的な真理に対する認識能力」を前提として科学を行っているだけなのです。
それゆえ、論証だけに基づく純粋な科学はありえず、あらゆる認識には、必然的に「直感的な認識」が介在せざるをえず、科学をもっぱら論証的認識によって行うことは原理的に不可能だということなのです。
科学も、宗教も、「論証的認識+直感的認識」によって成立する「信仰の体系」であって、ここでも「科学対宗教」という対立の図式は存在しないことが分かります。