聖書の根本原理
聖書の根本原理1:
聖書全体は、契約という大きな軸によって一本貫かれています。
神は、人間と契約を結んで、「地を治めなさい」と言われました。そして、「正しく治めることができれば、永遠の生命を与え、あなたの仕事に応じて永遠の財産を与えよう。」と言われました。これがいのちの木から実を取って食べるという表現で表された「正の報い」です。
しかし、「これを正しく治めず、わたしの意志に逆らったことを行うならば、あなたは死んで、永遠の刑罰を受け、永遠の財産を与えられない。」と言われました。これが、善悪の知識の木という形で表現された、「負の報い」です。
私たちの始祖、アダムはこのテストに失敗して、「負の報い」を受けとってしまいました。
アダムに属する私たちアダム族全員も、同じようにテストに失敗したと見なされるので、「生まれながらに」罪人であり、それゆえ、永遠の刑罰を受ける運命にあります。
アダム族に留まっている限り、私たちはアダムの「負の報い」を受け続けます。
しかし、神は、御子キリストを遣わして、アダムが失敗したテストを、身代わりに受けて、合格してくださり、「正の報い」を受けました。つまり、永遠の生命と永遠の財産です。
また、キリストは十字架上で、アダムの「負の報い」をすべて身代わりに受けて処理してくださったので、私たちが自分の失敗の責任を負うことがなくなりました。
キリストを信じて、バプテスマを受け、教会に加わるならば、私たちは、キリスト族になります。聖餐のパンとぶどう酒は、キリストと一体であることのしるしです。
私たちは、キリスト族の一員として神の契約を守ったと神にみなされるので、永遠の生命と報いを受けます。また、アダム族の一員として受けなければならなかった刑罰は、十字架上でキリストによって罪が処理されたので、もはや私たちが刑罰を受ける必要はありません。
2001/08/31