神社の構造、祭儀はなぜユダヤ教に酷似しているのか?

 

 ソロモンの時代(紀元前10世紀ころ)にすでに、ユダヤ人は世界中に乗り出して貿易をし、金・銀・財宝を集めていた。タルシュシュの船団は、三年にわたる大航海を終えて、ソロモンのもとに財宝を献上したと書かれている(第一列王10・22)。

 この記述を裏付けるかのように、世界各地において古代ユダヤ人の足跡が残っている。例えば、南米において古代ユダヤ教の祭器メノラーが発見されている。

 陸路においても、長い間ユダヤ人はシルクロードを通じて交易を行っていた。M・トケイヤー氏は、絹織物の技術と交易はユダヤ人の独占であったと述べている。

 紀元前2世紀には、すでにユダヤ人は、中国を始め、世界のあらゆる地域に存在したという記録がある。

 

 M・トケイヤー氏によると、古代からシルクロード沿いにユダヤ人の集落が存在し、その中心にシナゴーグが存在した。彼の先祖は、中央アジアのシナゴーグの会堂管理者であった。そして、当時から、巡回伝道師がいて、各地のシナゴーグを巡回して伝道する人々がいたという。

 今日インターネットが世界を結び付けているが、ユダヤ人はすでにこのような世界的なネットワークを持っていたと思われる。理論的に言えば、情報はエルサレムから1ヶ月半でシルクロード伝いに中国まで伝わるという。

 

 さて、聖書は、クリスチャンの伝道が、まず、世界各地のディアスポラ(離散)のユダヤ人に対してなされたと証言している。パウロが伝道旅行に赴いてまず訪れたのは、その地方のシナゴーグであった。

 ペテロはバビロンに、トマスは中国に伝道したが、恐らく同じように、まずその地方のシナゴーグに赴き、ユダヤ人に福音を伝えたことだろう。

 このように、福音は、まったくの新地の中に蒔かれたのではなかった。すでに世界中に存在していたユダヤ人のコミュニティーに速やかに伝播した。

 しかも、キリストの福音が伝えられる前に、すでにユダヤ人が「世界を飛び回って」異邦人にもユダヤ教の福音を伝道していた。東方の博士(異邦人)がキリストの誕生を祝うためにやってきたのも、このような伝道の背景があったからである。

 それゆえ、イエスの福音は、伝道者たちによって、時を移さず、まず、ユダヤ人に伝えられ、そして、ただちに異邦人社会に伝えられたといえるのではないだろうか。

 パウロが、「福音は世界中で実を結んでいる」と述べたのは、故のないことではない。

 古代の世界の様々な地域は、我々が想像する以上に相互に緊密な関係にあった。

 捕囚のユダヤ人がただちにパレスチナに帰らず、世界に散ったのは、このような福音伝道の下地を作るための、神の摂理であったと考えられる。

 さて、ユダヤ人は、絹貿易を独占して、シルクロードを行き来していたのであるから、当然古代からユダヤ人がシルクロードの終点である日本にやってきていたということは十分に考えられることである。おそらく、タルシュシュの船団の航海の一つの大きな目標は、日本においてすでに豊かに産出されていたと思われる金であっただろう。ヨーロッパに広まった黄金の国ジパングの伝説は、このユダヤ人の古い記憶に由来するのではないだろうか。

 日本の神社の構造が、ユダヤ教の神殿の構造に酷似していることは、M・トケイヤー氏だけではなく、数多くの学者が指摘している。

 16世紀頃に中国の開封にあったユダヤ教のシナゴーグの見取り図は、それが木造建築であったということを示しており、その内部は、日本の神社の構造に酷似している。それゆえ、ユダヤ人は、日本においても、シナゴーグを作る際に、木を用いたと考えることは十分に可能なのだ。

シルクロード沿いの各都市に、ユダヤ人の集落があり、彼らがそれぞれの地にシナゴーグを建てて礼拝を持っていたということは、シルクロードの終着点である日本にもシナゴーグがあったことを示唆している。神社の構造、神道の祭儀がユダヤ教のそれと酷似していることもこれで説明がつく。

 

 

 



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