神道の行事や礼拝を無宗教とする誤りについて
神社の御祭りは宗教行事ではない、神道は偶像を祭っていないとする意見がクリスチャンの間から出始めている。
彼らは、神道のルーツはユダヤ教にあるということを主張するために、このように述べている。
たしかに、神道のルーツがユダヤ教にあるしるしは数多く存在するし、歴史的に見ても、シルクロードの交易商人にユダヤ人が多かったことから、古代にユダヤ人が日本に来ていたと十分に考えられる。
しかし、ルーツが同じだからと言って、神道の行事を無宗教であり、クリスチャンはそれに参加しても間違いではないということはできない。
「福音主義のキリスト教と、ものみの塔はルーツが同じである。だからものみの塔を受け入れてもよい」ということにはならないのと同じである。
ある著名な伝道者は、神社にまつってある鏡は偶像ではないという。鏡はそれを通して神を仰ぎ見るためのものであって、礼拝の対象ではないから、と。
しかし、第二戒は、神の像はキリストだけであって、それ以外の者を「神の象徴」とすることを禁止している。神に至る道、神を礼拝する道は一つしかない。「わたしを通してでなければ神のもとにいけない」とイエスは宣言された。
鏡を通して礼拝することは、明らかに唯一の仲介者キリストの否定である。
神道の行事や礼拝を無宗教とするのは、新たな偶像礼拝を教会に呼び込むことである。