終末は近いという人々へ

 

これまでプレ・ミレの人々は、何度も何度も「終末は近い。」と述べてきた。なんと、180年間もこんなことを言い続けてきた。

もし、180年前に「終末は近い。」と述べた人々が、その後も世界が180年間続くことを知っていたら、ただ通りに立って「終末は近い。」と叫ぶよりももっと建設的な人生を送ることができただろう。

今回のテロ事件を終末の秒読みと見る人がいるようだが、もし、それが終末と何ら関係がないことがわかり、彼が通常の老いと死を体験するならば、彼は、自分が語ったことの責任をどう取るのか。

これまで切迫再臨を説いた人々に共通する性質は、「無責任」である。

ドイツでナチスが台頭し、ヒトラーが現われると、「彼こそ反キリストだ。」と言い、中国で文化大革命が起こると、「毛沢東こそそれだ。」と言う。

それを聞いた人々は、心を騒がせて、長期的な仕事に身が入らなくなる。

「いついつに再臨は起こる」と言わなくても、「終末は近い」と言うだけで、人々に与える心理的な影響は大きいことを、切迫再臨を説く人々は、よくわきまえなければならない。

今回のテロ事件を終末の前兆と見た知り合いのプレ・ミレの牧師は、会堂建築の計画を中止してしまった。

神御自身ですら、終末の時期を啓示されていないのに、なぜ、「終末は近い」と言うのだろう。

終末に目を向かせて、人々の気持ちを高ぶらせるやり方は、カルトのやり方なのだ。カルトは、そのようにして人々の心を、組織に向けさせ、献身させるのだ。切迫終末論は、人心操作の有効な手段であると彼らは知っているのだ。

しかし、カルトは、信者の全人的な福利には関心がないから、彼らが社会から遊離して、盲信の中にはまりこんでも責任は取らない。すべてを犠牲にして、貯金を全部献げさせ、大学や会社をやめさせ、その人の人生設計を狂わしても、いっこうに心が痛まない。なぜか。

カルトには、愛がないから。

カルトは、人を利用することしか考えていないのだ。

カルトは、サタンの性質をよく反映している。サタンは、人がどうなろうと無関心である。いや、むしろ、人を破壊することに喜びを覚えるのだ。だから、サタンは、一時的な興奮を与えて、人を熱狂の中に放り込んで、利用するだけ利用して、あとはポイ捨てをやるのだ。

ユダを利用したパリサイ人が、キリストを売り渡したことを後悔した彼に向かって、

「俺達の知ったことか。自分で始末しろ。」と言い放ったのは、サタンの無責任を象徴しているのだ。

切迫再臨を説く人々は、自分がサタンと同じことをやっていないか、よく反省する必要があるだろう。

自分の言葉によって大学を辞め、会社を退職し、土地を売り、長期的な計画を放棄した人々の責任を取れるだろうか。

よく考えていただきたい。

01/09/20

 

 

 

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