Simple Lifeへのあこがれ
よく、Simple Lifeという言葉が好まれている。
アウトドアスポーツは現在人気の的である。
しかし、神は、けっしてSimple lifeを望んでおられない。
神が望んでいるのは、より複雑で、分業化された社会である。
ウィリアム・キャロル・バークは、ローマ帝国が滅んだ原因の1つは、単純さに対するあこがれであった、と述べているが、文明を拒否して、単純な原始的な生活にあこがれるのは、人間に与えられた被造物統治の使命の放棄である。人間は、単純な生活から複雑な生活へと移行し、文明を発達させなければならない。
神は、人間が、自分に与えられた専門に専心することを望んでおられる。単純な生活においては、何から何まで自分でやらなければならず、自分の専門に使う時間を失ってしまう。
パイロットが畑を耕したり、豚を飼ったり、のこぎりを握って家を建てたりしていては、時間の大変な損失である。
専業化が進んで、それぞれの専門の分野において効率よく仕事をすることによって、文明はよりはやく進歩する。
その意味においてコンピュータの発達は神の意志にかなったことなのだ。
反復作業や機械化できる作業をみな機械にまかせて、人間はよりクリエイティブな仕事に従事すべきである。
単純さは、神の本性であって、人間は単純ではない。
神は、一言で世界を瞬時に創造できるが、人間は、互いに助け合い、持ち場持ち場の責任を請け負って、複雑な社会を形成しなければならない。
Simple Lifeへのあこがれは、非聖書的であり、それは、人間の神化願望の反映なのだ。