思想的審美眼

 

今、人々はリバイバルに異常にこだわっている。

燃えている教会はどこか、と聞かれると、「活発に青少年が活動しており、人々が大勢集まっている教会」と答えるのが常だろう。

こういった目に見える現象だけを追うのは、現代人がテレビと、そのコマーシャリズムに影響されているからである。

今文化は、活字文化からピクチャー文化に変わろうとしている。人々は本を読まなくなり、テレビから情報を得るようになった。だから、概念を基準にものの価値を判断することができなくなってしまった。

つまり、「この現象はどういう思想に基づいているのか?」という分析ができなくなっているのだ。

その代わりに「この現象はどういう人々や建物という形で現われているのか?」という質問だけである。

これは、非常に危険な傾向である。

我々の働きも、実際に目に見える形で現われるまで評価はされないだろう。なぜか。

評価できる人がいないからだ。

人々は、華々しいもの、目に見えるものしか信頼しない。つまり、信仰が欠如しているのだ。

評価するのは、我々の活動が、政治などに影響を与えるようになってからだろう。

そんな評価は子供でもできるのだ。

今日、人々は思想的審美眼を養われていないので、概念の段階で対象を評価する力がない。これは、一つの悲劇である。

 

 

 

02/01/20

 

 

 

 

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