曽野綾子さんの聖書講義
昨年から作家の曽野綾子さんの聖書講義がテレビとラジオでやっていました。
大変魅力的な講義であったと思います。よくいろいろなことを調べておられます。
しかし、残念なことは、細かい点(「弟子たちは平民であり無学文盲の人々であった」とか言っていましたが、当時のユダヤ人はたとえ平民であっても安息日ごとにシナゴーグで礼拝しており、聖書の教えに通じていたので無学とは言えません。彼らが書いた手紙を見ても旧約聖書についての高度な知識があったことがわかります。)における間違いはともかく、きわめて重要な点において誤解があるということです。
それは、彼女が「旧約聖書の神と新約聖書の神は性格が異なる」と述べている点です。
旧約聖書の神は「怒りの神、ねたみの神」であり、新約聖書の神は「愛とあわれみの神」であるというのは、間違いです。
なぜならば、聖書は「神は変わることがない」(マラキ3・6)と述べているからです。
旧約聖書と新約聖書の神観の間に断絶があると考えるのは、マルキオン主義という異端です。旧約聖書においても、神は愛の神であり、「自分と同じように隣人を愛せよ」と述べておられます。イエスは、旧約聖書を一言でまとめるならば、「神を精神と思いと力を尽くして愛し、隣人を自分のごとく愛せよ」にまとめることができると述べておられます。
また、イエスの十字架において神の愛が明らかにされたのは、新約聖書だけではなく、旧約聖書においても同じでした。旧約聖書において、すでに御子の犠牲がはっきりと預言されており、動物犠牲はすべてキリストの予型でした。アブラハムがイサクを捧げたことは、神がキリストを犠牲としたことを示しています。神が御子を捧げるほど人間を愛しておられるということは、旧約聖書においてもはっきりと言われていることなのです。
作家は、普通の牧師よりも何倍も影響力があるので、彼らが聖書を語っているときには、注意が必要なのです。