再臨の時期についての聖書の二面性
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ご質問>質問です。富井さんの言うように、「大艱難時代が来る、クリスチャンに勝ち目は無い」で、戦意を喪失させるのもサタン常用手段だと思います。しかし、「まだ時がある」と言って、クリスチャンを安心させこの世での戦いをさせないのもサタンの戦略だと思いますが?
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お答え>聖書の書き方は、二面性があります。
それは、一つに「いつ再臨があってもよいように準備せよ」というものであり、もう一つは、「再臨までの間に地を回復するための長い期間がある」というものです。
よく後千年王国説を批判する人々が「もし再臨の時期が分かっていたら怠惰になるだろう」と言いますが、これは、前千年王国説でも同じことです。「様々な前兆があるから主が近いことは明らかだ」ということは、時期を設定していることです。前兆が過ぎるまでは再臨はないわけですから。「まだ反キリストは現われていない。まだだ。」と。
時期を設定することは避けられません。むしろ、「時代を見分ける目」を持てとイエスは言われたのです。また「主はあらかじめしもべにすべてを語る」とも言われています。「滅びがあなたがたを突然襲うことはない」とも。
つまり、聖書は、相矛盾するような書き方をしているということを認めなければなりません。
遅くなったので、無茶苦茶なことをやった僕に対して、主人が突然帰ってきてその悪い僕を裁く話があるかと思えば、「万物が回復するまでイエスは天に留まっている」という個所もあります。
両方が真実であり、それらは、「我々は、いつ主が帰ってきてもよいように怠りなく忠実に主に仕えるべきである」という原則と同時に、「万物の回復のために精進せよ」という原則をも持つべきである、ということを聖書は教えていると考えるべきでしょう。
02/02/20
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