成功の鍵は、神の法秩序を促進することにある

 

<ご質問>

毎回、ご丁寧な説明ありがとうございます。最近、今回の戦争を契機に聖書と戦争についていろいろと考えることがあります。富井さんのおかげでたいへん聖書の勉強をさせていただいています。

「では、ある国家において、信仰の自由が阻害されていたり、無実の人々が>虐殺されている(ルワンダやブルンジにおける数十万人単位の虐殺、コソボにおけるイスラム教徒虐殺のように)など、ひどい人権抑圧が明らかな>場合、他の国々は、協力して、その国家に対してそれらの政策を止めさせ>るように警告し、場合によっては、軍事的攻撃を加えることも必要でしょう。

あくまでも、自治権は、その国家が神の法に違反していない限りにおいて与えられているのです。神の法に著しく違反している場合に、その国家において無実の人々が犠牲になっていることが明らかで、緊急な措置が必要>である場合に、国際社会には、いわゆる「戒規(discipline)」を行う責任があると言えるでしょう。」とおっしゃりましたが、

自治権が神の法に違反していない限りにおいて国家に与えられるというのは聖書のどこの部分に書かれているのでしょうか?

 

<お答え>

これは、「あなたの隣人の血の傍らにむなしく立ってはならない。」(レビ記 19:16)という戒めから得られる結論であると思われます。

この個所のへブル語聖書をそのまま英訳すると、Do not stand together with (against) the blood of your neighbor. となります。つまり、「あなたの隣人の血とともに(に逆らって)立ってはならない。」→「あなたの隣人の血が流されているのにもかかわらず傍観してはならない」、または、「あなたの隣人の血が流されるような不利なことをしてはならない」という意味です。新共同訳では「隣人の生命にかかわる偽証をしてはならない。」、口語訳では、「あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。」と訳されていますが、Do not stand idly by the blood of your neighbor. (あなたの隣人の血の傍らにむなしく立ってはならない。)と解釈すべきだと考える人々が多くいます(Naomi L. Zikmund-Fisher, Daniel Eisenberg, R.J. Rushdoonyなど)。

タルムードは、この個所から、「危険にさらされている隣人を救い出せ」という戒めを導き出しています。

他国において、ひどい人権侵害がある場合、国際社会は、それを傍観してはならないという原則はここから導き出せると思います。

 

<ご質問>

また、共産主義というのはよく知られているように唯物論に基づいており、明らかにキリスト教を攻撃している思想です。共産主義は神の法に違反しているから、共産主義には自治権が与えられないということにならないのでしょうか(共産主義国家においてはしばしば信教の自由が阻害されていたり、無実の人が虐殺されたりしています)?

 

<お答え>

共産主義国家において、信教の自由が阻害されていたり、無実の人が虐殺されたりしていることが事実であれば、他国は抗議し、圧力をかけ、救い出すべきでしょう。

しかし、このようなひどい人権侵害が明白ではない場合、つまり、たとえ共産主義体制であっても、それほどひどい抑圧がなく、信仰者が制限があっても礼拝を守ることができ、祈ることができるならば、この体制に自治権は与えられるべきでしょう。つまり、その体制においても、神の法が不完全ながらでも守られており、強盗や殺人者、悪人が罰せられ、秩序が保たれている場合、その体制を打倒するために活動すべきではないでしょう。

なぜならば、人間の統治が完全に神の法に合致することは不可能だからです。完全を求めていけばきりがありません。神は一時的に悪人に政権を握らせることがあります。しかし、その悪人が極端な悪政をするのではない限り、それを暫定的な権威として認める必要があるでしょう。

ラッシュドゥーニーは、「混沌や無政府状態よりは、悪い政府による統治のほうがましである」という意味ことを言いました。

もし政府が極端な悪行を重ねている(例えば、ヒトラーによるユダヤ人大量虐殺など)場合、その政府を認めることは罪です。だから、ヒトラーに対して甘い顔をした英国政府などの宥和政策は、罪です。しかし、その政府の悪行がある程度で留まっており、むしろ、善を奨励して、悪を罰し、神から与えられた義務を基本的に果たしている場合、その政府を打倒するために働くべきではなく、神の裁きを待つべきだと思います。

 

<ご質問>

聖書には次のような聖句があります。

口には神をあがめる歌があり/手には諸刃の剣を持つ。/国々に報復し/諸国の民を懲らしめ/王たちを鎖につなぎ/君候に鉄の枷をはめ/定められた裁きをする。/これは、主の慈しみに生きる人の光栄。(詩篇149
聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか。(コリント前書6)

この聖句からすると、著しく神の権威が損なわれている場合(例えばドミノ倒しで共産主義化が進むおそれがあった時アメリカがベトナム戦争始めた場合)に、防御的ではなく攻撃的な戦争を始めることができると確信するものもでてくる可能性があるように思います。

 

<お答え>

たしかに、共産主義化に伴なって、ソ連をはじめ、中国、ベトナム、カンボジア、東欧、北朝鮮などにおいて、大粛清があり、多くの無実の人々が虐殺されたり、収容所に送られたという事実がありますので、共産主義化を放置することは、聖書的とは言えないでしょう。

共産化の恐れがある場所に援助をして、国を防衛しようとする政府を助け、場合によっては、軍事介入することは間違いではないでしょう。ただし、CIAを通じてアメリカが援助をした資本主義政権は、腐敗した政権であることが多かったのです。ゴ・ジン・ジェムやマルコス、ピノチェトなど、アメリカは堕落した人々を助けてでも、資本主義を守ろうとしたが、腐敗にうんざりした大衆は、清廉な政治を共産主義者に期待し、ホー・チ・ミンや毛沢東を支持した。しかし、開けてびっくり、共産政権誕生後、人々は、コミュニズムの恐ろしさをいやというほど体験することになった…。

アメリカの援助は、「正義」を無視したために失敗したといえると思います。

毒をもって毒を制することはできないという教訓を、世界は学ぶべきではないでしょうか。

 

まとめ:

(1)カオスよりは、悪い政府の秩序のほうがよい。無政府状態の中で悪がはびこらないために。

(2)政府が、極端な悪を行う場合、国際社会は、それを止めさせるように働きかけるべき。場合によっては、打倒する必要性もあるかもしれない(例:ヒトラー政権)。

(3)政府が、極端な悪を行わず、ある程度神の法を守っている場合、その政権を認めるべき。完璧を期待し、理想社会を作ろうとして暴力革命を実行する者たちは、秩序破壊者である。

(4)いくら悪を防止するためと言っても、国際社会は、堕落した政権を無条件に助けるべきではない。

(5)成功の鍵は、「神の法秩序」を促進することにあると悟るべき。

 

 

02/01/24

 

 

 

 



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