進化論は超越的な規範を破壊する
文部省は、進化論を指導内容から外したようだが、それは、恐らく、進化論が生み出す破壊的な影響を考慮したためであろう。もしそうでなくても、大変喜ばしいことである。
進化論が子どもの心にどのような影響を与えるかは、先日の成人式を見れば明らかである。
先祖が動物であると教えられた人間が、先祖に似た者になるのは十分に予測できたはずである。動物のように粗暴に振るまい、みさかえなく交尾しまわる人間が巷に増えてきてから「なぜ?」と言っても遅い。
社会から超越的な規範が喪失すると、その社会は滅亡する。
つまり、「他人が見ていなくても悪いことをしてはならない」「人の道を踏み外してはならない」と教える人がいなくなったら、その社会は滅亡するか、他国人に蹂躙される以外にはない。
西洋においても東洋においても、社会を支えてきたのは超越的な規範である。西洋においては、長い間聖書律法に強く影響された自然法が社会の規範となってきた。しかし、19世紀後半から進化論の影響で、徐々に自然法が葬り去られ、「規範は超越的ではなく内在的である」と主張する人々が増えていった。つまり、何が善であり、何が悪であるかは、神の教えとか、自然に備わっている規範によって決定されるのではなく、その時代の社会通念によって決定されるべきであるとされるようになった。
日本は、もともと儒教的な規範があったが、戦後の無神論教育によって、それすらも失ってしまった。これまでの間、戦前の名残があって、かろうじて超越的規範も残っていたが、戦前の教育を受けた人々が少なくなるにつれて、それもほとんど失われようとしている。
超越者を否定することは、超越的な規範を否定することである。
進化論を信じることによって、超越者は否定され、それゆえ、超越的な規範も否定されるようになる。
「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」というような「規範」では、堕落や社会の崩壊を食いとめることはできない。