聖書の神を前提としない立場はすべて無神論である
創造科学は擬似科学であるという人々に対して、「そうではない。ドグマを前提とするか否かは擬似と真正を分ける基準にはならない」と述べたところ、「結局、創造科学は自分たちを認めてもらおうとしているだけじゃないか。」ということを言う人がいるので、言っておきます。
こちらは、「創造科学も認めて欲しい」と言っているのではなく、「創造科学以外は本当の科学ではない」と言っているのです。
世界が創造によって存在している以上、創造を前提としない行為はすべて虚偽です。
我々は、世界に存在するあらゆるものを創造を前提として見なければならないのです。これは、このHPの一貫した主張です。
すべては神の所有であるから、それゆえに神の規範によってすべてを運営しなければならない、と述べているのです。
だから、「あたかも、この世界は創造されたものではないかのように見る」現代科学は「擬似科学」なのです。
「進化論は神の不在を前提としている」とこちらが述べると、「進化論は神の不在を前提として組みたてられた学説ではない」と進化論者は言いますが、ナンセンスです。
「神は存在するかどうか不明だから、神の存在非存在の問題はひとまず脇に置いて考えよう」ということは、実質的に神の不在を前提とすることになります。
もしそうでなければ、進化論は「偶然の積み重ねによって生物は進化した」とは言えなくなるからです。なぜ「偶然」を持ち出すかと言えば、「超自然的人格者の絶対的意志」を排除しているからです。それ以外に何の理由があるのでしょうか。
進化論の学界において、「神は…」ということは禁句です。進化論は、創造を前提とせずに生物の成り立ちを説明するための学説なのですから、「神不在」を、当然のこととして、前提としているのです。「いやいや、神がいないといっているのではなく、神がいたとしても創造したかどうかは不明だという前提を立てているだけだ」と言うかもしれませんが、そんな神は神ではないのです。
世界が存在し、その世界がその神とは無関係に存在したし、今も存在しているというならば、その「神」とは神ではありません。
存在している世界が、神の意志とは無関係に存在しているならば、その神は、外界から影響を受ける相対者になるのです。神は、自分の意志とは無関係に起こる日々の出来事に驚き、喜び、悩み、悲嘆します。このように環境によって左右される神は単に人間を大きくした日本神話やギリシャ神話の「神」でしかありません。
聖書は、神をこのような者として描いていません。神は万物を無から創造した存在の根源であり、日々起こることについて絶対的な主権を持っています。世界で起こるすべてのことは、素粒子の一つ一つの運動についても、神の決定によって起こるのです。
神が予期不能なことに遭遇して驚嘆したりそれによって苦しむようなことはありません。聖書において「神が苦しむ」と表現されているのは、人間のように神も外界から影響されることがあるということではなく、あくまでも、「自分の意志によって計画したことが計画通り起こった」ことにほかなりません。だから神の苦しみとは、ことごとく自ら選び取った苦しみなのです。
神は自分が行ったことを後悔することはありません。なぜならば、神の行為は絶対の行為であり、常に最善だからです。神以外に基準が存在しない以上、「こうすればよかった」ということはないのです。人間の場合、行った行為は絶対善ではないので、そこにより素晴らしい選択が存在する可能性が常にあります。その行動が絶対善でない以上、「こうしたほうがよかったのでは…」という悔いは常に伴ないます。
しかし、神が行うことは常に最善なので、悔いというものはありません。
「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。」(民数記23・19)
「実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。」(1サムエル15・29)
この世界に起こることはすべて神の決定によって起こるので、偶然は一つもありません。だから、「ラック(幸運)」や「まぐれ」はないのです。
進化論は、「偶然」を進化の基本に置くので、聖書の神を否定しています。進化論は、聖書の神の存在を前提とはしていないのです。
彼らは、「神がいるかどうかわからない」と言いながら、実質的に神を不在として論を立てているのです。世界で起こることを神の絶対的意志によって解釈しない立場は、どのような名前がついても「無神論」なのです。
世界を神の絶対的意志によって解釈するか、それとも、神を不在として解釈するかのどちらかしか選択肢はありません。中間は存在しません。
もし中間が存在するとするならば、そこで言われている神とは神ではなく、人間の拡大版でしかないのです。
02/03/28