本文批評はサタンの誘惑である
リベラリズムに基づく本文批評は、「聖書本文にも間違いがあるのではないか」というサタンの誘惑から出発しているので、クリスチャンは絶対に採用してはならない学問である。
サタンは、エバに対して「神は本当にそのように言われたのですか?」と聞いた。つづいて、「神はウソを言われたのです。本当のところはこうです。…」と言った。
つまり、神が宣言された言葉に疑いをさしはさむことは、サタンの誘惑の本質なのだ。
聖書は、神が正式に任命された証人の手による文書である。そこには、霊感が働いており、疑う余地はまるでない。
実際、イエスは、サタンの誘惑に対して、「聖書にはこう書いてある。」としか言われなかった。つまり、聖書の言葉は、サタンを黙らせる最終権威なのだ。
聖書は、疑いをもって読むべきものではない。それは、服従するために読むべきものなのだ。聖書は、神の意志の宣言である。
聖書の権威を疑わせるものがいるならば、断固として拒否すべきである。彼の言葉に耳を貸してはならない。御言葉は、万人を黙らせ、議論をストップさせる、神の権威であって、それが本当であるかどうか調べる対象ではない。