言いすぎは控えよう

 

 今日、NHKの放送大学の量子化学の授業を見ていたら、講師の先生が「この授業は、自然界で起こることはことごとく自然法則にしたがって起こるものであることを明らかにすることを目標にします」という趣旨のことを言っていたが、これは、言いすぎであると感じた。

 

 経験科学は、常に反証の余地を残しているわけだ。それは、帰納法によって得られる知識は、絶対的な知識ではありえないという原理的な限界を持っているから。手にあるコップを放してコップは下に落ちるか、という実験を10000回繰り返して、すべての場合にコップが下に落ちるというデータを得たとしても、それが10001回目にどうなるかはわからない。もちろん、経験的アナロジーによって、落ちることを予測することは十分に可能である。しかし、純粋に認識論的な問題として、「絶対に下に落ちる」と断言はできない。「おいおい、常識的に考えろよ。下に落ちないわけはないだろう。」というのは、常識の話であって、厳密な認識論の話ではない。

 

 「処女降誕などない」ということを経験科学によって立証することは不可能である。宇宙が閉じられた系であって、宇宙の外側からの介入は一切存在しないと断言できる人間など一人もいない。もし、それを証明できるならば、ノーベル賞ものだ。

 

宇宙が閉じられた系であるというのは信仰である。この信仰に立てば、「自然界において起こるあらゆることはすべて自然法則に従って起こる」と言えるが、だれも、その信仰を経験科学によって証明できないのであるから、科学者はそのような迷信的な発言をしてはならない。

 

 

 

 



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