御国拡大のツール
聖書において、モーセは律法を象徴している。
モーセが、約束の地に入ることができなかったのは、人間は律法だけでは御国に入ることができないことを象徴している。
神の民が約束の地に入ることができたのは、ヨシュアに率いられてであった。
イエスは、ヘブライ語において、ヨシュア(イェシュア)である。日本語の新約聖書でイエスと呼ばれているのは、ギリシャ語のイエースースから来ているからで、ヘブライ式に発音すれば、ヨシュアなのだ。
モーセではなく、ヨシュアによって神の民がカナンに入ったのは、救いは律法によるのではなく、イエスに連なることによってであるという真理を象徴している。
御使いがマリアに「その子をイエスと名づけよ」と命じたのは、出エジプトの霊的成就のためである。
さて、ヨシュアには、カナンの地征服の使命が与えられた。
「今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。」(ヨシュア1・2)
ヨシュアに率いられた民は、カナンの土地を征服した。
これは、イエスに率いられたクリスチャンが、全世界征服することの予型である。イエスは、弟子たちに、全世界に出ていってすべての国民を弟子とせよと命じられた。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28・19−20)
神は、ヨシュアに、神の守りと臨在を約束された。
「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。…わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(同5,9)
同じように、イエスもクリスチャンに御自身の守りと臨在を約束された。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 (へブル13・5)
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28・20)
つまり、ヨシュアのカナン侵攻の物語は、クリスチャンの世界征服を表す象徴なのだ。
このような並行関係から見るならば、ヨシュアに与えられた律法遵守の命令は、今日のクリスチャンにも適用できるとしなければならない。
神は、ヨシュアに対して、カナン征服のカギは、律法を守ることにあると言われた。
「ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」(ヨシュア1・7−8)
同じように、イエスも弟子たちに、律法遵守を命じておられる。
「そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28・19−20)
律法は、御国拡大のカギであり、ツールである。
律法は、この世界を御国に変えるための主要な手段である。
クリスチャンは、神の法をあらゆる領域に適用し、全世界が神の法によって運営されるように諸国民を導かねばならない。