正しい本文に基づく翻訳聖書の出版を!
マジョリティー・テキストに関するゲイリー・クランプトンの説明は非常に重要なのでご一読をお願いする。
彼の意見を次のようにまとめる。
ここ100年の間に出版された英訳聖書ASV, RSV, NASV, NIVなどは、アレキサンドリア写本に基づいているが、教会は草創期から100年前まで、ずっと、マジョリティー・テキストと呼ばれる写本群に基づく翻訳を用いてきた。キング・ジェームズ訳の元本となったレシーブド・テキスト(公認本文)もマジョリティー・テキストに属している。
しかし、アレクサンドリア写本を元本とすることを提唱したB.F.ウェストコットとF.J.A.ホートは、アレクサンドリア写本は、マジョリティー・テキストよりも古く、マジョリティー・テキストのように不自然な一致が存在しないので、信頼に値するという。
しかし、写本間に一致があるのは単につじつまあわせが行われたことを示しているのではなく、それらが権威として尊重されていた同一の写本を正確に書き写したためであると考えられる。また、マジョリティー・テキストが、アレキサンドリア写本よりも数が多いのは、マジョリティー・テキストが権威があると見なされていた定本の複製だったからである。権威がある写本の写しが多く残されており、権威の低い写本の写しが少ないのは当然である。数が多いということは、それだけ権威のある写本であることの証拠である。
クランプトンはこの他にも様々なことを述べているが、重要な点は、「現代の英訳聖書は、歴史的に受け入れられてきた本文ではなく、権威の低い写本の翻訳である。」ということである。これは、日本語の翻訳聖書についても言える。
マジョリティー・テキストに基づくキング・ジェームズ訳の第1ヨハネ5・7は、
「天において証しをする者が3つある。すなわち、父、ことば、聖霊である。これら三つは一つである。」と、はっきりと三位一体を表しているが、アレキサンドリア写本に基づくNIVやNASB,RSVなどは、「証しする者が3つある。すなわち、御霊、水、血である。そして、3つは一致している。」と訳しており、三位一体についてあいまいである。また、キング・ジェームズ訳のルカ19・13は、
「そして彼は10人の召使を呼び、彼らに10ポンドを渡して言った。『わたしが戻ってくるまで占領しなさい(occupy)。』」と訳しているが、NIVやNASB,RSVなどは、「そして彼は10人の召使を呼んで彼らに10ミナを与え、こう言った。『わたしが戻ってくるまで、このお金で商売しなさい(put this money to work)。』」となっている。キング・ジェームズ訳の場合、キリストの再臨までの間、クリスチャンは世界を神のために占有する務めを与えられていることがはっきり分かるが、アレキサンドリア写本に基づく訳では、このドミニオンの概念がはっきりしない。日本語訳の多くは、どちらの個所でも、これらの新しい訳に近く、マジョリティー・テキストを反映しているとは言えない。
現代の本文批評は、人間理性から出発し、信仰から出発しない世俗的、自律的ヒューマニズム文献批評学の影響を受けており、新しい翻訳聖書はその支配下にある。キリスト教界全体が、このような世俗の学問によって力を奪われている現状はまことにゆゆしきものだ。
正統的キリスト教会において1900年もの間受け入れられてきたマジョリティー・テキストに基づく翻訳聖書を回復する必要があるということを声を大にして申し述べたい。