i・MODE 

 

 

聖書の一見矛盾に見える個所についての質疑応答

 

<ご質問>「マルコによる福音書」について質問があります。

第七章に、イエスがシドンからガラリア湖へ向かったと書かれていますが、1世紀にはシドンからガラリア湖への道はなく、ティルスからの道が一本だけであったという批判がありますが、tomi先生はどのようにお答えになられますか?

また、ティルスからの方がガラリア湖に近いですから、イエスは逆方向へ向かったということにもなってしまいます。

ちなみに、批判が書かれていたのは「真実のイエス」イアン・ウィルソン著 紀伊国屋書店です。

 

<お答え>

 ギリシャ語テキストでは、問題の個所(マルコ7・31)は、次のように訳せます。

 「そして再び、(イエスは)ツロの地方から立ち去り、シドンを通って、デカポリス地方の真中にあるガリラヤ湖に来た。」(*)

 さて、ツロ(ティルス)とシドンは地中海沿岸の町であり、ツロよりもシドンの方が30km北にあります。ガリラヤ湖はツロの南東にありますので、ツロからシドンに向かってガリラヤに行くというコースは、わざわざ遠回りをするということになり奇妙です。また、当時ガリラヤ湖へは、ツロから3本の道が出ていましたが、シドンから直接そこに至る道は存在せず、必ずツロを経由しなければなりませんでした。それゆえ、この本文のとおりのコースをたどったということになると、イエスは、「ツロからシドンに進み、そこからレバノンの道無き山岳地帯を南進してガリラヤ湖に辿り着いた。」ということになります。

 しかし、イエスは、伝道旅行の最中であり、ガリラヤへのビジネス旅行をしているわけではないので、最短距離を行かねばならないということはないのです。

 様々な地域を順順に巡って福音を説く働きをしていたのですから、遠回りをすることがあってもおかしくはありません。

 ガリラヤ方面とは逆方向にあったシドンにも福音を伝えなければならない必要性を覚えておられたため、このような迂回をしたと考えることができます。

 また、道なき場所を歩くことにしても、当時イエスは、ユダヤ人から攻撃されており(7・1〜)、人目を避けておられたわけですから、道無き道を通ることが必ずしも奇妙な行動だとは言えないのです。行く手にユダヤ人たちが待ち伏せしている可能性もあったに違いありません。

 ローマのクリスチャンたちも、迫害を避けて地下に教会を建て、そこにおいて信仰を守り通しました。

 

(*)ギリシャ語テキスト(気息符、アクセント符省略)

Και παλιν εξελθων εκ των οριων Τυρου 

そして 再び    立ち去り       ツロの地方から

  ηλθεν δια Σιδωνοs 

  来た     シドンを通って

  ειs την θαλασσαν τηs Γαλιλαιαs

  ガリラヤの湖に

  ανα μεσον των οριων Δεκαπολεωs

  デカポリス地方の真中(間)にある

 

 

 

 



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