今は田植えの段階である
教会成長学は、世界及び日本の教会に、大きな影響を与えました。
これは良い影響というよりも、悪い影響のほうが多かったような気がします。
教会の成長は、着実であるべきです。
「また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。」(マルコ4・26-28)
御国の成長においては、最初から「実」を求めることはできません。
「苗」→「穂」→「実」
という順番を無視することはできません。
まず、信徒は、健全な教えを提供される必要があり、その健全な教えとは、「アメリカン・ドリーム」的なものではなく、「地道な教理教育」であるべきと考えます。
ビリー・グラハム的な大衆動員伝道は、一つの方法かもしれませんが、それは、コカコーラのようなもので主食にはなりません。コカコーラはたまに飲めばおいしいのですが、主食として飲んだら健康な体は作れません。
地道な教理教育によって、信徒の考え方が、聖書に基づいて作り変えられ、長いインターバルの後に、ある時、指数関数的、爆発的なリバイバルが起こると考えます。
リバイバルのためには、堅牢な土台が必要であり、それは、信徒が健全な教理によって自立することにあります。
たとえ爆発的なリバイバルが起きたとしても、健全な教理教育によって自立した信徒が多数いれば、新しいクリスチャンが多数現われても、先輩のクリスチャンがそれぞれ健全に教育できます。
そして、その新しい信徒は、この健全な教えによって自立でき、さらに新しい人々を獲得でき、リバイバルが持続します。
しかし、今日教会を支配している教理は、歴史的・聖書的なキリスト教ではなく、200年前に登場した、近代思想の影響を強く受けた偽の教えであるため、様々な運動を展開しても、いつまでたっても堅牢な土台が築かれることはなく、クリスチャン個人個人の自立は達成されていません。
「神と聖書は前提であって、疑いの対象としてはならない」
「学問を聖書の上に置いてはならない」
「キリストは世界の王であり、地上において神の御国は発展し、クリスチャンは勝利する」
「クリスチャンは、聖書に基づいて世界のすべての領域を神のために改革しなければならないし、それは可能である」
このような教えを復活させる必要があり、この教えが各教会に根付くときに、教会はしっかりとした基盤ができ、リバイバルの土台が作られます。
神が望んでおられるのは、健全な教えを持つ教会が成長することであり、クリスチャンの数が増え、世界に大きな影響を与え、サタンの影響を弱めていくことにあります。
ですから、数は重要なのです。
しかし、数を先に求めてはなりません。それは、「実」であって、「苗」ではありません。
私たちは、現在、「田植え」をしている段階なのです。
この段階において、「実」を集める大衆動員伝道はあまり意味がないと思います。
03/02/12