独活の大木化
マタイ5・13−14で、クリスチャンは、「地の塩、世の光」と呼ばれています。
地の塩とは、「世の腐敗を防ぐ」働きをします。
地は、放っておくと腐敗します。
なぜならば、アダムの子孫はみな堕落する傾向があるからです。
クリスチャンが塩の役目を果たすことによって、地の堕落が防げると言われています。
世間において、暴力、占い、中傷、好色が盛んになるならば、クリスチャンはその傾向に歯止めをかけます。
しかし、その役目を果たさないと、地は堕落に歯止めがききません。
塩の役目を果たさないクリスチャンは、無意味な存在なので、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけのものになります(13)。
生き残るために人々と調子を合わせて一緒になって堕落したことをやると、逆に人々から捨てられるということになります。
世の光とは、裏返せば、この世の人々は闇の中にいるということを意味しています。進化論という子供だましに翻弄されていることからも、その盲目ぶりが分かります。クリスチャンは、盲目な人々に真理を知らせます。
もしクリスチャンが世の人々の意見を聞いて、彼らの導きに従うならば、クリスチャンも闇の中を歩くことになり、光としての機能を果たすことができません。クリスチャンは、神の預言者として御言葉から真理を解き明かす責任があります。
このように、
2つの職務--腐敗防止と啓蒙--を忘れるか拒否するとクリスチャンの存在意義がなくなるので、クリスチャンの勢いは衰えます。彼らは、神にとっても、この世の人にとっても、いてもいなくてもよい存在になります。それゆえ、「この世はサタンの世だ。だから、この世を変えようとしても無駄骨だ。この世を変えるのはクリスチャンではなく、再臨のキリストである。」と説く説教家や伝道者、牧師は、クリスチャンを「独活(うど)の大木」化しているのです。