強肉弱食の原理に立つ終末論
進化論において、進化は、自然淘汰によって進むという。
強い者が生き残り、弱い者が滅びると。
しかし、キリスト教においては、強い者が滅び、弱い者が生き延びる。
弱いダビデが強いゴリアテに勝った。
弱いイスラエルが強いエジプトに勝った。
弱いクリスチャンが強いローマ帝国に勝った。
「今日のサタンの働きを見てください。どうしてキリスト教がこのような強大な勢力に打ち勝つことができますか。それは非現実的ではないですか?」というプレ・ミレ(前千年王国説)は進化論者なのだ。
ゲイリー・ノースは、『モーセとファラオ』という本の中で、「モーセとエジプトの王との戦いは、『倫理の宗教』と『力の宗教』との戦いであった。」と述べている。
エジプトは力を信じていた。この世は力の強い者が勝って、弱い者が負けるのだ、との信仰を持っていた。
しかし、エジプトは、弱小民族イスラエルが出て行くのを止めることができなかった。
聖書は、「強肉弱食」の原理を教えている。
「柔和な者は幸いである。地を相続するからである。」とイエスが言われたのは、このことを示している。
神の力は、弱い者を通じて現われる。
強い者が勝っても、「あたり前」としか見えないからである。
だから、神はわざと弱い者を選ぶ。
長身でハンサムなサウルは退けられて、小柄で風采の上がらないダビデが選ばれた。イエスの乗り物として、力強い馬ではなく、小さな子ロバが選ばれた。
イエス御自身はガリラヤのナザレ出身の田舎者であった。イエスが選んだ弟子たちは、エリートのパリサイ人ではなく、ガリラヤ湖の漁師や取税人、売春婦、右翼などであった。パリサイ人であったパウロが弟子となったのは、クリスチャンを迫害した後であった。使徒と呼ばれる人々で脛に傷を持たない者はいなかった。神はこのような人々を選ばれる。
この世に、進化論の自然淘汰の原理しかなければ、信仰は不用であり、夢も希望もない。
真の改革は、進化論の原理によるのではなく、信仰の原理による。
ポスト・ミレ(後千年王国説)は、弱い者が勝つという信仰に立つ唯一の終末論である。
どれが正しい終末論であるかは自ずから明らかである。