宗教的真空
科学は、現象の世界しか扱うことができない。道徳とか宗教、霊の世界は科学の扱う領域ではないというのが今日流行の立場である。
しかし、実際、科学は、自然を越えた超越者の存在を前提としておらず、そのような立場から教育が行われているので、実質的に道徳や宗教を否定している。
この最もよい例が、進化論である。
進化論者は、「我々は生物の問題を論じているのであって、宗教とは関係がない。」というが、「神が創造したのではなく、進化によって生物は今日の姿になった。」と説明しているのであるから、実質的に神を否定している。
さて、近代とは、このように、「人間にとって知覚可能ではない世界を否定し、人間の主権を脅かすような存在を一切認めない」というヒューマニズム思想に基づいて成立しているのであるから、超越的な倫理というものを教育において教えることができない。
そうなると、見ていなければ何をしてもよい、というような人心荒廃の世の中になるので、それを危惧する復古主義者が現われる。森首相の発言はそういった彼らの心理の表れである。
ただ、彼らが愚かなのは、宗教なら何でも良い、どのような神でも、仏でも崇拝する心は貴いものだ、というようなことはいえないということに気づいていないということである。
50年前の日本の失敗から彼らは何を学んだのか。キリスト以外を礼拝することは、サタン礼拝である。
サタンは表面的な幸せを提供するが、最後に必ず裏切る。
神道の神々を国家を挙げて敬うような国をもう一度作っても、一時的に人心が豊かになったように見えるだけで、最終的に国家を悲惨のどん底に落とすのは目に見えている。
戦後の日本は、宗教的真空だった。
教育者は、戦前の宗教・倫理教育を否定した。
しかし、彼らは、代替物を提供しなかった。
一つの悪霊を追い出しても、そこに聖霊が入らなければ、そこには七つの悪霊が住み付き、前よりももっと悪い状態になるとイエスは言われた。
真の神を礼拝する国家にならなければ、日本の状況はさらに悪化するだろう。
真空状態は長続きはしない。