魔女裁判・十字軍

 

>以上のことからキリスト教やユダヤ教やイスラム教がなければ

>ナチスによるユダヤ民族大虐殺や十字軍の侵略戦争や魔女裁判で女を処刑するなど

>多くの歴史的大虐殺は起きなかったといえる恐ろしい歴史ではないか

>ユダヤ人キリストの残虐性なのか白人種の残虐性なのか

>要するに鶏が先か卵が先かの違いに過ぎないのだが

>ユダヤ民族大虐殺をやったキリスト教を信じる白人種が

>実はユダヤ教徒もキリストもユダヤ人だったと気付いたとき

>白人種の歴史の矛盾と馬鹿らしさに彼らは自信をなくしつつある

>しかもユダヤ人キリストの舞台が西南アジアとか東北アフリカであることにも

>彼ら白人の信じてきた教えが崩れ去る現実に自信をなくしている

 

 また、基本的なミスを犯しているので、レスします。

 

(1)

 

 「キリスト教やユダヤ教やイスラム教」→「多くの歴史的大虐殺」→「キリスト教やユダヤ教やイスラム教は不要だ」

 

 という議論が成り立つには、「キリスト教やユダヤ教やイスラム教」の教義内容を検討し、どこがそのような「多くの歴史的大虐殺」を生んだのか、そして、その教義は不可避的にそのような虐殺を生み出さざるをえない仕組みを持っているのかどうか、検討しなければなりません。そうしないと、それらの宗教のよい部分をもすべて排除すべきだという安直な結論を出してしまうからです。

 

 現象だけを見て、その現象を生んだ主体を否定するならば、それこそ、自分がユダヤ人虐殺者と同じことをやることになります。

 

 「ユダヤ人」→「世界経済を乗っ取る」→「ユダヤ人は世界のガンだ」→「ユダヤ人を抹殺せよ」

 

という議論をヒトラーはやったからです。

 

 ユダヤ人の中にもよい人もいれば、陰謀をたくらむ悪い人もいるでしょう。それは、どの民族についても言えることでしょう。それなのに、何も悪いことをしていないのに、「ユダヤ人」だというレッテルをつけられて、収容所送りにされた人々は、まったく身に覚えのないことで苦しみを受けたのです。このような悲劇を繰りかえさないためにも、批判をするならば、問題点を的確に把握する必要があるのです。民族に問題があるのか、それとも、個人に問題があるのか、民族と個人を混同するならば、あなたも、ジェノサイドの仲間入りをすることになります。

 

 さて、同じように、キリスト教徒(何をキリスト教徒と呼ぶかは議論の余地があるが)の中にも、陰謀をたくらむ人々、魔女狩りや十字軍を行おうとする人もいるでしょう。

 

 しかし、キリスト教の経典である聖書そのものが、そのような魔女狩りや十字軍を否定しているならば、どうでしょうか。

 

 聖書において、魔女やオカルトや異教を行う人は処刑の対象ではありません。

 それは教会から除名すべき対象とはなりますが、いのちを奪うことを教えていません。

 処刑すべきなのは、故意の殺人などごく限られています。

 

 また、だれかを処刑する権限はキリスト教会に与えられていません。聖書は、それらの人々を除名する権限はあっても、犯罪者を処刑する権限は国家にしかないと考えています。

 

 十字軍は、聖地を回復すべきだといいましたが、聖書は、今日「聖地」は存在しないと教えています。キリストが万物を神と和解したので、今日あらゆる土地が聖地なのです。

 

 そして、その「聖地」を回復するために、住民を虐殺してよいとも書いていません。そもそも、ある国家が、自国の土地以外の土地を支配したり、侵略することを禁じているのですから。

 

 魔女狩りにしても、十字軍にしても、当時のキリスト教会のトップが聖書に立たずに、勝手に決めたことであって、いわば、キリスト教とは別の宗教になってしまっていたのです。

 

 こういった迷信からの解放に対する戦いとして、宗教改革が起こったのです。

 

 どの宗教でもそうですが、経典から離れて勝手に行ったことまでも、その経典が責任を負わねばならないという理由はありません。

 

 もし、宗教を批判したいならば、経典の教義が、『不可避的に』そのような虐殺を生むということを証明しなければなりません。

 

 それゆえ、宗教批判は、その経典に関する深い知識が必要なのです。

 

 もしそのような知識を得ることなく、ただ、むやみに「これはダメだ」「あれはダメだ」と叫んでも、負け犬の遠吠えにしかならなくなります。

 

(2)

 

 繰り返して言いますが、白人であろうと黄色人種であろうと、黒人であろうと、キリスト教徒は、ユダヤ人やユダヤ的なものを否定していません。

 

 もちろん、ギリシヤ的なものを尊んだ時代の中世キリスト教には、そのようなユダヤ的なものを忌避する傾向がありましたが、現在のキリスト教でユダヤ的なものを拒絶している教派は存在しません。

 

むしろ、私は、ユダヤ的なものを回復する必要があると主張しているグループに属していますから、あなたのような批判は、的外れだという印象をぬぐうことはできません。

 

 

 

 



ツイート