目を覚ませ!諸君!

 

 蜘蛛の糸に粘り気が、突然変異によって、偶然につくのは簡単だと進化論者はいう。

 胃などの粘液を作るDNAだってあるのだから、そのようなものがうまく蜘蛛の糸を作る器官を形成するDNAに組み込まれて、糸に粘り気がついたという。

 しかし、このような説明はまったくナンセンスである。

 まず、常識的に考えて、まったく用途の違うものが「まったくの偶然の作用だけで」そのまま役立つことを期待することはまず不可能である。「偶然ではなく意図によってすら」そのようなことがうまく行くことはまずないと言ってよいだろう。

 例えば、人間の作った機械を見てみよう。

 同じ油だからいいだろうというので、サラダ油をエンジンに入れても意味があるだろうか。それが、少しでも役立つとしてもそれだからと言ってずーっと使い続けるドライバーがいるだろうか。

 まして、それよりも遥かに複雑な生物の様々な器官において用いられている物質は、それがその用途にうまくマッチしていなければ、それが生存に寄与するまでには至らないということは日を見るより明らかである。

 胃の粘液を作り出すDNAが解明されたとしても、それを粘り気のない糸を作る蜘蛛のDNAに移植して、そのまま機能するだろうか。

 胃の粘液における粘り気と、蜘蛛の糸における粘り気とは役割がまったく違う。蜘蛛の糸における粘り気は獲物を捕獲するという目的にきわめて好都合な性質を持っている。

 はたして、胃の粘液をつけた糸で、虫を捕獲することができるだろうか。

 偶然によって、今日存在する様々な生物の多様な機能を説明することなど、よほどマインドコントロールされていない限りできない。

 目を覚ませ!諸君!

 

 

 



ツイート