十字架上の二人の強盗の記事について
<ご質問>
イエスと共に十字架につけられた2人の強盗の記述が福音書ごとに違うのは何故ですか?マタイとマルコによる福音書では強盗が2人ともイエスを罵るのですが、ルカでは1人が回心しています。この矛盾はいったいどのように解釈したら良いのでしょうか。教えてください。
<お答え>
矛盾とは、「2つの記事が互いに食い違い、論理的整合性のない発言をしている場合」だけに適用できる言葉です。
しかし、これらの福音書は、けっして論理的に整合性のないことを述べていません。
一方は、2人とも強盗がイエスをののしったと書いてあり、もう一方は、一人が回心したと書いてある。
ここから分かる事実は、「最初、二人ともののしっていたが、後で一人が回心した。」ということです。もしくは、その逆に、「最初、強盗の一人が回心したが、後で心を翻して他方と一緒になってののしり始めた。」ということです。
しかし、後者は、常識的に見ておかしいですし(彼は「我々は、自分のしたことの当然の報いを受けているのだ。しかし、この方は違う。」と述べている。この真摯な悔い改めをした人間が、後でののしり出すということは考えにくい)、聖書の全般的主張(どんな罪人でも悔い改めれば救われる)と食い違うので、もしそのようなことがあったとしても、聖書記者が記すことはなかったであろうと推測できます。
02/04/04