歴史はキリスト崇拝に向かっている
歴史は、キリストの主権を証言している。
「キリストが支配しているって?そんなバカな。」ということはできない。
現在世界を支配しているのは『キリスト教文明』なのだ。
ヨーロッパ文明とキリスト教文明とを混同することはできない。
しかし、ヨーロッパ文明の基幹は、キリスト教なのだ。
ギリシャやゲルマンの要素は、キリスト教に対する脇役である。キリスト教を攻撃することによってキリスト教の内容を純化し、発展させる「反面教師」として存在しているに過ぎない。
世界の大多数を支配している法律は、聖書律法から出ている。
国際的なスタンダードは、ヨーロッパ文明の価値観に基づいて決定されており、けっしてアジアやアフリカやイスラムの文明のそれではない。
ある新興宗教の教祖が、「キリスト教文明は駄目になった。これからは仏教文明の時代である。」と述べているが、循環的な歴史観を持つような文明が現代世界を支配することはできない。
キリスト教を攻撃している進化論的歴史観ですら、キリスト教の発展史観に基づいている。
日本も頑強にキリスト教を拒否してきたが、開国と敗戦によって、キリスト教文化を導入せざるをえなくなった。
キリストの主権に逆らうことはできない。
明治の初期において、天皇はキリスト教の宣教師たちを明治政府建設のアドバイザーとして招いた。
クリスチャンの文部大臣森有礼は、キリスト教の世界観に基づいて日本人を教育しようとしたが、天皇崇拝者の手によって暗殺され、日本は天皇崇拝という新興宗教のマインドコントロールによって敗戦までまっしぐらに進んだ。
このような非キリスト教文明の要素は、進駐軍による新憲法制定と諸制度改革によって、キリスト教化された。
しかし、アメリカ本国がまだ聖書律法に完全に帰っていなったため、このような改革の中にも異教的な要素が含まれていた。
例えば、教育におけるデゥーイの集団主義・社会崇拝思想は、日本人をますます集団依存者に変えてしまった。
歴史は、キリスト崇拝の方向に進んでいる。
それを推進しているのは、神御自身である。
それに逆らう者は、手痛いダメージを受ける。