リバイバル運動とアメリカのフリー・メイソン化

 

リバイバルとは怖いものだ。

信条や真理や契約に対するこだわりがリバイバルの熱狂の炎の中で消されてしまうからである。
数万人の大群衆が集まって熱狂しているリバイバル集会の写真を見せられると、教理に関して、聖書解釈について一字一句にこだわることが馬鹿らしく思えることがある。

サタンは、リバイバルに酔いしれている人々の緩んだ心を利用する。

古来、日本においても、祭りにおいて乱交は公認されていた。このようにして生まれた父なし子は神聖な子と特別視された。

アメリカの大リバイバル時代についても同じような風紀の乱れがあった。
ロードアイランドのブリストルにおいて、1720−40年に結婚後8ヶ月で生まれた子供の数は10%であったが、大リバイバル運動の時期と重なる1740−60年の間は49%に上った。1760−80年には少し落ちて44%になった。(John Demos, "Families in Colonial Bristol, Rhode Island: An Exercise in Historical Demography," William and Mary Quarterly, 3rd ser., XXV (Jan. 1968), p. 56 cited in G. North, "Political Polytheism"(1989), ICE, p.362n.)

リバイバルのドンちゃん騒ぎが終わったあとに残されたのは、聖書や信条よりも経験を重視する風潮であった。ここにおいて、教理や信条や契約を重視する入植者のピューリタン主義は破壊された。

「大リバイバルは、キリストの体に新しい基礎を与えつつあった。それは、経験中心主義と非信条主義であった。」(Gary North, Ibid., p360.)

聖書や教理へのこだわりが消え、「神学ではありません。経験です」などという教えがはびこり、信条によって人や団体をクリスチャンであるかノンクリスチャンであるかを判別する姿勢が人気を失っていった。

聖書や教理に対する厳格な姿勢が失われるとともに、教会の中にニュートン合理主義が入り込み、それがキリスト教と合体してアメリカの国民宗教になった。

「非信条的大リバイバル運動は、…ピューリタンの神聖共同体の理念を跡形もなく消し去った。…共通基盤的、非信条的、経験中心主義的キリスト教は、共通基盤的なニュートン合理主義と結びついて、アメリカの国民宗教を形成していた。」(Ibid., p361.)(ここで「共通基盤的」とは、「クリスチャンとノンクリスチャンが共有しているものを重視する」という意味)

ここにおいて、アメリカは、クリスチャンの国家ではなく、ニュートン合理主義者の国家に変貌した。

ゲイリー・ノースは、18世紀の中ごろの大リバイバル運動こそが、アメリカのフリー・メイソン化の元凶であると述べている。

「大リバイバル運動の炎は、1735年から1750年代中ごろまで全国をなめ尽くした。しかし、リバイバルの炎が消え、物理的にも霊的にも、アメリカ全土の教会構造が破壊された結果、一体何が教会に代わって人々に交わりと兄弟愛と共同体意識を与えられたのだろう。このような『兄弟愛への求め』は、これまで無視されてきた一つの――いや、最も重要な――テーマ:『アメリカの契約の変貌』の原因を説明している。つまり、『兄弟愛への求め』は、フリー・メイソンの勃興の原因となった。」(Ibid., p. 362.)

リバイバルのお祭り騒ぎがいかに危険かおわかりだろうか。
リバイバルが生み出した無律法主義、経験中心主義は、聖書や教理へのこだわりを捨てさせることによって、アメリカをクリスチャンの国家から、ノンクリスチャンの国家へと変貌させた。

リバイバルにしても、何らかのムーブメントにしても、もしそれが、クリスチャンから、真理へのこだわりを失わせるならば、それは、サタンの運動になりかねないのだ。

霊的高揚の後には反動がつきものだ。サタンは、我々が高揚した後の心の隙間に罪を入れようとしている。

 

 

03/04/20

 

 

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