イエスの誕生年を巡る問題
>キリニウスによるユダヤ人の人口調査が行われたのは、紀元前6
>年と紀元6年のどちらですか?「真実のイエス」イアン・ウィル
>ソン著 紀伊国屋書店の47ページには、紀元6年と書かれていま
>す。他の資料には紀元前6年とあります。
歴史家ヨセフォスは、『ユダヤ古代史』第17巻13・5において、「…キリニウスは、カエサルに派遣され、シリヤにいる人々の財産について記録した。」と記しています。この調査は、アルケラオス(ヘロデ大王の息子)が王であったとき実施され、紀元6または7年に行われました。イアン・ウィルソンの判断は、この事実に基づくものだと思われます。
当時の記録から類推すると、住民登録は14年ごとに行われるのが通例であり、その前の調査は、紀元前8〜7年頃だったと思われます。
イエスが誕生されたのは、ルカによれば、「ユダヤの王ヘロデの時」(前37-4年)であり、「全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグスト(前31-後14年)から出た」時です。
となれば、当然、イエスの誕生の年は、紀元前8〜7年頃であると結論できるのですが、一つ問題が残ります。
それは、ルカの福音書に「これは、シリヤを治めていたキリニウスの最初の住民登録であった」(原文直訳)という一文があるからです。
紀元前8〜7年頃のシリアの総督はサトゥリヌス(前9〜6年)であり、キリニウスではありません。また、キリニウスが総督であったという記録もありません。
しかし、ローマでは、共和制の時代から、地方の問題に対処させるために有能な人間に過分の権限を与えて事に当たらせることが慣例として確立されていました。とくに、アウグストは、属州の地方総督に軍事力を持たせることについてきわめて慎重な人物であったといわれています。そのため、彼は、総督に頼るのではなく、問題への直接の責任を負った特使を派遣して複雑な問題に対処させることの方を好みました。
キリニウスは、紀元前12〜2年に、ピシディアの国境問題の責任者として派遣され成功を収めていたため、アウグストから信頼され、このきわめて引火性の強いユダヤの税収問題に対処すべく派遣され、一時的にその地を支配したと思われます。