聖書は七転び八起きを教えている


アメリカの社会と日本の社会を比べてよく言われるのは、アメリカは再起を支援するが、日本はそうしない、ということだ。

会社で一度失敗したら立ち直れない。そういった不文律がある。

しかし、人間は失敗するものであるから、一度や二度の失敗で、敗残者の烙印を押すというのは、極めていびつであり、非人間的である。

こういった失敗者に対する冷たい処遇は、「新しいことを積極的に作り出そう」という意欲のある人々を減らし、社会全体が事なかれ主義に変わっていき、活力が失われていく。

聖書は、「七転び八起き」を教えている。失敗しても、立ち直ればよいのだ。失敗した人を責め、再起を拒否するのはサタンである。

サタンは、自ら誘惑しておいて、誘惑に落ちた人を責めたてる。「おまえは、もうだめだ。二度と立ち直れない。」と。

失敗を赦さない社会は、過去志向である。過去の失敗にこだわるからである。しかし、聖書が教える社会とは、未来志向である。過去を振り返るのではなく、未来に向かって前進することを強調する。

しかし、日本のキリスト教界は、あまりにも世俗の知恵に影響されているため、一度失敗した牧師を疎外する傾向がある。

もし失敗した人が悔い改めを拒否しているなら仕方がない。悔い改めができない人を再起させることは、悪の拡大につながるから。

しかし、日本のキリスト教界は、悔い改めている人に対しても厳しい。

私が再建主義を信じるという理由で、ほぼ追放のような形で福音派の教会の教職から外された時に、ある信徒が、「全体を見ると、一度失敗した牧師は福音派の中では二度と浮かび上がれないよね」と言った。

直感的に「これは罠だ!」と思った。

サタンは人間を恐れさせようとしているのだ、と。

日本の教会は、安易に世の原理を取り入れ、失敗者に対する不寛容を身につけてしまった。そのため、牧師も信徒も、失敗を恐れるあまりに、教会において口をつぐみ、信仰の自由を体感できなくなっている。

人を恐れるようにプレッシャーをかける習慣を切り捨てて、教会はもっと輝くべきだ。

 

 

2004年3月13日

 

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