聖書翻訳の問題



<ストレイ・シープ様>

新改訳にそんな問題があるとは。先生、具体的にどの辺が問題か御指摘いただけませんか?物差しが歪んでいるようでは、双方向の議論ができるわけがありません。結局山谷大尉殿は自分の言いたいことを言っておしまいと、あれは一体何だったのでしょう?

<tomi>

新改訳の問題は、終末論に関する個所を非プレテリスト的に訳しているところにあります。


それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。(使徒3・20-21:新改訳)

「あの万物の改まる時」は、原語では、

χρονων αποκαταστασεωs παντων となり、英語では、

time of restoration of all things となります。

αποκαταστασεωsの主格形αποκαταστασιsは、「以前の状態への回復」という意味です(Theological Dictionary of the New Testament; 参照・Thayer's Greek-English Lexicon of the New Testament)。

回復、復古、復興、パピリでは神殿の修復の意などに用いられる(織田昭著『新約聖書ギリシャ語小辞典』大阪聖書学院1976年)

 それゆえ、これを直訳すると、「すべての事が以前の状態へ回復する時」という意味になります。大体の英語訳はこのように訳しています。αχριを含めて引用すると:

until the time comes for God to restore everything (New International Version)
until the times of restitution of all things (King James Version)
until the period of restoration of all things (New American Standard Bible)
until everything is restored to order (The Message)
until the time for the complete restoration (Amplified Bible)
until the time for the final restoration of all things (New Living Translation)
until the time when all things are made right (New Life Version)
until the time for restoring all the things (English Standard Version)
until the times of restoration of all things (New King James Version)
until the times of restitution of all things (21st Century King James Version)
until the times of restoration of all things (American Standard Version)
till times of a restitution of all things(Young's Literal Translation)
till [the] times of [the] restoring of all things (Darby)
[till] into the times of restitution of all things (Wycliffe New Testament)
until the time comes for God to restore everything (New International Version - UK)

英語訳で新改訳と同じように訳しているのは、背教訳視されている(http://www.ianpaisley.org/article.asp?ArtKey=cev)Contemporary English Versionと、Worldwide Englishくらいです。

until God makes all things new(Contemporary English Version)
until the time when all things will be made new again (Worldwide English)

この聖句において言われているのは、「イエスは、万物が以前の状態へ回復する時まで、天にとどまっていなければならない」ということです。

キリストが再臨されるのは、万物が元の状態(=神に従順な創造時の状態)に回復した「後」であって、万物が別のものに更新される「時」ではありません。

この聖句を補強するのは、

「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』」(ヘブル1・13)

「しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。」(ヘブル10・12-13)

です。

プレ・ミレは、キリストが再臨されて、敵を倒して、更新の業を成し遂げてくださる、と考えますが、聖書は、キリストは「神が敵を倒して、回復の業を成し遂げるまで、天の右の座に留まり、待っている」と述べているのです。

神が、まずクリスチャンを通して、回復の業を成し遂げるまで、キリストは再臨されず、天に留まっておられるのです。

ジョン・ギルは次のように述べています。「(使徒3・21の「回復」は)異邦人の完成・ユダヤ人の回心・すべての神の選民の集合・終わりの日におけるキリストの教会に臨むあらゆる栄光に関する約束や預言の成就を指している。」(John Gill, Online Bible, v.2.5.2)

「異邦人の完成」(ローマ11・25)とは、「すべての国民が弟子となる」(マタイ28・19-20)ことを意味しています。つまり、異邦人が、旧約時代のイスラエルのように、神の戒めに従って国を治め、人々がキリストの命令に従うようになることです。

パウロの使命は、「異邦人を従順にならせる」(ローマ15・18)ことにあり、新約時代とは、ユダヤ人だけではなく「どこででもすべての人」が「悔い改めを命じ」られている(使徒17・30)時代なのです。

この弟子化が完了しない限り再臨はありません。

 

 

2004年2月4日

 

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