神様はレイピストではない
<質問>
再建主義は、暴力や強制によって、大多数の社会の人々に無理やり聖書の原理を押し付け、姦淫者や同性愛者を処刑し、非行少年を石打ちにしますか?
<答え>
いいえ。
我々は、「その社会の大多数の人々が聖書の原理を自ら進んで適用すべきだと考えるまでそれを社会に適用すべきではない」と主張します。
聖書は、「鞭を使って人を動かすべきではない」と教えています。たとえば、伝道そのものは、人々への強制によるのではありません。クリスチャンになる人は、自分が進んで信じるからなれるのであって、強制して信仰に入ることはできません。たとえ強制してなったとしても、本当に心の生まれ変わりを体験することはできません。
神様は、レイピストではありません。
神様は、人類の幸せを望んでおられるのです。
聖書は、神様からのラブレターであり、「最善の道」を教えてくれているのです。
だから、神様は無理やり人に自分の価値観を押し付けるようなことはなさいません。
人々が自発的にクリスチャンになって、教会に通う人で社会が溢れるようになれば、彼らは、聖書の知恵が最善だと当然思うようになるでしょうから、その時になれば、大多数の人々が、聖書が教えている社会体制を進んで受け入れるようになるだろう。
そして、国の基本法を聖書に基づいて修正し、キリストを王とする社会になるだろう、と我々は考えるのです。
ヒューマニズムの政体がこのまま続けば、学校教育は崩壊し、犯罪が蔓延し、社会はめちゃくちゃになります。
「普遍的道徳」がないからです。
神からの自由を欲しがった人々は、逆にサタンの奴隷になり、生活は悲惨になります。
この様子は、士師記に記されています。イスラエルの民は「自分がよいと思うことをした」と書いてありますが、そのうちに、いろいろな災厄に見舞われ、国が蹂躙されます。そこで人々が神に祈り救いを求めると、士師が使わされて救われる、というパターンが繰り返し登場します。
人類が再建主義を受け入れるまでには、さらに厳しい試練を経なければならないでしょう。結局、人間は「痛い思い」をしない限り、真理を受け入れようとは思わないのです。
傷が十分に膿んでいないうちに切開できないように、神は「その時」を待っておられます。
まだ時でもないうちに、「聖書律法を適用しよう」などというつもりはまったくありません。
2003年12月4日
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