侵略戦争を抑止できないキリスト教は捨てられる 3

 


<ストレイ・シープ様>

こうなるとなんだか、株式投資の予想の神様がいて、その人のおっしゃったとおりになるから、上がると予想された株を買って、大事にしまっておくみたいな感じですね。御託宣をいただいて、それが実現することをただジット待っているだけ。そこにはまことの預言者として世に関わる姿勢がない。自分達だけ救われればよい。救われたい者は、聖書預言について無知から解放されて、自分達の解釈を理解して、自分達と同じことをすれば救われるのだ、といったある種のエリート意識の臭さが感じられます。

先にリンクした文章もそんなエリート意識に凝り固まったヒトの発する臭いに満ちています。自分はそんな臭いをさせていることに気がついていないのでしょうが。

ここでデスカッションさせていただいて、いろいろなことが見えてきました。ありがとうございました。

<tomi>
まさに、「御託宣をいただいて、それが実現することをただジット待っているだけ」ですね。

これって、本当に不健全です。

スポーツでも何でもそうですが、人間は努力しないと、上達しない。その努力をするところに健全な精神が生まれる。

幾多の困難を乗り越えて、何かを上達させ、作り上げるところに、本当の喜びもありますが、プレ・ミレは、ただ黙ってじっと待っている。待っていないで努力している人に向かって、「そんなことをしても無駄だよ。神様が全部やってくださるんだからじっとしていなさい。」と勧める。

これじゃあ、まともな人を獲得できるはずがないじゃないですか。
社会で活躍している人とか、努力してライフ・ワークに取り組んでいる人とかを。

プロジェクトXに出てくる人々から評価されるような教えに変えないと、キリスト教界に未来はない。

「先にリンクした文章もそんなエリート意識に凝り固まったヒトの発する臭いに満ちています。自分はそんな臭いをさせていることに気がついていないのでしょうが。」

そうですね。
一般的なことでもいえますが、世の中のために活動し、努力しているならまだしも、何もしないで、努力している人々に対して「あなたがたは分かっていない」と言うようなエリート意識というのは、顔をそむけたくなるほど卑しくて臭い。

仕事もしないで、オウムの道場で「修行」をし、汗水流して働いている真面目な勤労者をサリンで殺したのは、こういった臭い「エリート意識」だったと思います。

「ここでデスカッションさせていただいて、いろいろなことが見えてきました。ありがとうございました。」

こちらこそ、感謝いたします。
このような極めて重要な問題について、意見を共有できる「バアルに膝をかがめない残りの民」である方にめぐり合えて感謝しております。

 

 

2004年1月3日

 

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