奇蹟や預言を否定する人が陥る罠

 


私は、ディスペンセーショナリズムの中のある人々が、奇妙な終末論を信じていながら、同時に、「奇蹟、霊現象、預言」などをバカにする傾向があることを不思議に思っていました。

「今日、神が幻として現われたり、預言を命じることは絶対にない」という人々すらいます。

しかし、聖書は、「今日そのようなものは存在しない」とどこにおいても、述べていないのですから、彼らは「人間的な制限を設けている」のです。

このような人間的制限によって、キリスト教は、神が禁じていないものを禁じる「禁欲主義」や、「啓示主義」ではなく「理性主義」に変わる危険性があります。

これは、18-20世紀のリベラリズムと同じ過ちです。

「聖書が禁止したものを禁止し、聖書が何も言っていないものについて自由にする」という原則を破るならば、「自分は聖書に忠実だ」といいながら、知らぬ間にサタンの罠に嵌る恐れがあります。

「再臨切迫論」も「奇蹟・預言否定論」も、どちらも、聖書を厳密な基準として受け取らないところから出ているので、非常に危険です。

 

 

2004年1月14日

 

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