うわべによって人をさばかないで正しいさばきをしなさい

 



<ストレイ・シープ様>

富井先生、私が違和感を覚えつつも、どのように表現してよいかわからない部分に的確な言葉を与えてくださり感謝です。やはりおかしいわけですね。安心しました。

ところで昨今の関西学院の先生の見当ハズレの論考など、再建主義に対する理解がいまひとつ浸透してない印象を持っております。小生自身も少しづつ目が開かれているというところが本当です。

さて、実は救世軍の将校の方のHPのBBSに次のような記述がありました。明らかに富井先生を指して論じております。この中で、アメリカでは再建主義は「一般的には過激なキリスト教右翼思想として
認知されています」とあります。

私どもはアメリカの状況は情報が乏しいのですが、実情はいかがなのでしょう。情報をいただけるとありがたいです。

今年もますますご活躍くださいませ。

【以下引用】----------------------
ラビットさまへ 投稿者:まこと(管理者)  投稿日: 7月 1日(火)09時09分42秒 i008054.ap.plala.or.jp

ラビットさまが7月1日(火)8時29分40秒に投稿された「我々の進む道」と題する投稿には、T様についての個人情報が一部含まれていましたので、採用を見送らせて頂きました。あしからずご了承ください。

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ラビットさまへ 投稿者:まこと(管理者)  投稿日: 6月30日(月)16時30分03秒 i009100.ap.plala.or.jp

わたしの記憶が正しければ、T様は牧師ではなく、信徒であると
思います。

T様が主催している「×××××」というホームページは、再建主義を紹介し宣伝するためのサイトです。アメリカでは再建主義は、一部のクリスチャンの間で最も正統的な教義として強く支持されていますが、一般的には過激なキリスト教右翼思想として認知されています。

その内容は、現代社会に神政政治を樹立し、旧約聖書の律法に基づいた
司法を行って、聖書に示された「正義」を「社会正義」として実現させることを目論むものです。創始者は、カルヴァン派の神学者ラッシュドゥーニーという人で、それをヴァン・ティルやゲイリー・ノースといった神学者、思想家が継承発展させています。

ゲイリー・ノースの主張は特に過激であることで知られています。
旧約聖書の律法に根拠した司法制度の下で「死刑」を執行させよ、と主張しています。レイプ、殺人、誘拐犯に対して死刑を執行するだけでなく、堕胎した母親を公開処刑にせよと主張しています。また、異端、冒&#28678;罪、魔法、魔術、占星術、姦淫、近親相姦、親を殴る子ども、矯正不能な非行少年、婚前交渉をした女性も、すべて死刑に処すべきだと主張しています。

このような過激な主張が出てくる理論的背景には、人間は自律的存在ではなく他律的存在であり、結局のところ、人間のすべての理性的判断は、神を信じる信仰と旧新約聖書の啓示に根拠して下されなければならないということです。
そして、聖書が「処刑せよ」と命じている限り、人間は純粋にそこだけを出発点として社会や司法を構築しなければならない、という考え方です。聖書の権威は絶対的であり、聖書の下す命令に対して、人間は絶対に服従しなければならない、ということです。

世俗的民主主義国家であるアメリカでは、自由を重んじますので、上記のような考え方が広く一般に受け入れられるわけは、当然ありません。今後アメリカで再建主義が支配的思潮になるとはとても考えにくいのです。

しかし、一部のまじめなクリスチャンの中には、アメリカの政治に再建主義が漸進的に浸透し、長い年月の後には、ついにアメリカに「神の支配」が回復され、かつての米国東岸のピューリタン入植地で行われたような「神政政治」が行われるようになる、と熱望している人たちもいます。

その場合、当然のことながら、ウェスレアン・アルミ二アン主義は異端として断罪されていますので(かのスコットランド改革派教会ですら、再建主義に照らすならば「アルミニアン的異端」だと断罪されています)。わたしなどは、首を洗って準備していなければなりません。

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人間存在の目的 投稿者:ラビット  投稿日: 6月30日(月)13時46分06秒 YahooBB219190184038.bbtec.net

下記のは富井牧師さんの掲示板からの転載です。

>人間存在の目的 

>人間は、神の似姿として創造された。
>それゆえ、人間は、神の似姿にふさわしく存在しなければならない。
>人間にとって、成長とは、神に似てくることであり、堕落とは、神に似なくなることであ>る。
>人間への愛とは、相手を神に似るように助けることであり、憎しみとは、相手を神の姿か>ら引き離すことである。
>神に完全に似た人とは、神がそうであるように、神の法に完全に従える人である。
>神に完全に似ている人は、完全な義と完全な愛を持つ人である。
>キリストは神であり、完全な義と完全な愛を持つ。
>教育の目的とは、生徒がキリストに近づけるように助けることである。
>社会の目的とは、神ご自身の社会、つまり、三位一体の各位格同士の間にある義と愛を反>映することである。
>人間がこの地上に造られた目的とは、この世界を神の御性質を反映する義と愛の世界に作>り変えることである。 
>tomi <kbzwezlcwe> 2003/05/10 15:15:34 ノートメニュー 
【引用了】-----------------------------

<tomi>

誤解が幅を利かせているようですね。

まず、私について書くならば、こういう判断を下す前に、私のHPをよく読むべきと思います。

私は、牧師の任職を受けていますが、私の働きは、神学研究と発表にあり、牧会には重荷はありません。

それから、異端とか姦淫者を即処刑するなどということを主張しているとすれば、明らかに「イッチャッテイル人」です。

ラッシュドゥーニーの著作やゲイリー・ノースの著書を読んでみれば分かりますが、そのようなことは述べていません。

こういう軽薄な批判というものは、教職者としては犯してはならない罪でしょう。

一つ一つについて答えることは、栗林氏への反論ですでに述べているので省略することにします。

キリスト教の牧師とか働き人がいかに堕落しているかは、こういった中傷を平気で行えることからも明らかです。

「うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。」(ヨハネ7・24)

「救世軍の将校」とは誰か教えていただけますか?

何人か知り合いがいますので、分かると思います。

 

 

2004年1月1日

 

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