フルプレテリズムを受け入れる前に綿密な調査と検討が必要である
フルプレテリストたちは、よく「教会は神ではない。だから、教会が正統と異端を分けるために設けた信仰信条も絶対ではない。」と言います。
フルプレテリズムに転向したチルトンは、「母なる教会」に過度に頼ることを偶像として、歴史的な信仰信条への絶対依存を拒否しました。
たしかに、教会を絶対とすることは間違いです。それゆえ、信条を絶対視することはできません。
フルプレテリズムを採用すると、これまで教会が是とした多くのことを否定することになります。復活は完成した。再臨はもう終わった。最後の審判も過ぎた。天国は完全な形でもうすでに来ている。…
これらは、明らかに歴史的信仰信条と矛盾します。
これまで、このような大きな教理的な変化は存在しませんでした。そのような変化があっても、変化を起こした人々が異端とされ、追放されるか、もしくは、危機神学や自由主義のように、信奉者たちがまっこうから教会の伝統を否定するようなことがなかったので、公に既存の教えと対立することはありませんでした。彼らは、キリスト教の外貌を備え、けっして信仰信条を否定せず、「私達はそれを認めていますよ」と言い、正統信仰の一部であるように偽装しました。
しかし、フルプレテリストは、はっきりと「信仰信条は絶対ではない」と断言し、「これまで正統とされてきた教えは誤謬であった」とするのです。
これは、非常に大きな問題です。
教会は、近い将来、フルプレテリズムに対して公的な宣言をするように迫られるでしょう。
私は、「たしかに、信仰信条は絶対ではないが、しかし、本当に神は、教会が2000年もの間、これだけ多くの誤謬を信じることを許されたのだろうか。」という疑問をもっています。フルプレテリズムにあるおびただしい数の釈義上の欠陥だけではなく、それを信じることによって、神の摂理に対する重大な疑いが生じるため、この立場を受け入れることには慎重の上に慎重を重ねる必要があると思っています。
2003年08月01日
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