地上的現実と霊的現実
「世界で戦争があり、クリスチャンが迫害され、多くの人々が偶像を拝んでいる。これでも、キリストは王なのですか?」というのが、プレ・ミレなど千年王国が未来において実現すると信じる人々の理屈である。
しかし、聖書は、「千年王国とは、戦いの中で拡大する」と教えている。「千年王国は戦いもなく、迫害もない理想の世界だ」などと述べていないのである。
その証拠は、ステパノの殉教である。
群集はステパノに向かっていきり立ち、まさに襲い掛かろうとしていた。その時、天を見上げると、キリストが神の右に立っておられるのが見えた。
「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』」 (使徒7・55-56)
「右に立つ」とは、権威を帯びた者であることを意味する(織田『新約聖書ギリシャ語小辞典』)。それゆえ、ステパノは、迫害の最中に世界の支配者である神に権威を与えられた王キリストを見たのである。
我々は、周りの現実を見て、一喜一憂してはならない。
たとえ迫害に遭ったり、苦しみや病、弱さの中にいたとしても、キリストの王権はゆるぎないからだ。
たとえ地上が嵐でも、雲の上では太陽がさんさんと輝いているように、この世界が神によって統治されている事実に変化はない。
神は、我々が試練の中にいるときに、天を開いて霊的な現実を見せてくださる。
エリシャが絶体絶命のピンチに陥った時に、神はエリシャと従者に、彼らを守る天使の軍勢を啓示された。
「王は馬と戦車と大軍とをそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。
神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、『ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。』と言った。
すると彼は、『恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。』と言った。
そして、エリシャは祈って主に願った。『どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。』主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」(2列王記6・14-17)
聖書が一貫して教えているのは、「目に見えるものに頼るな」ということである。
我々とともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多い。
我々がいかに多くの悪霊に取り囲まれていたとしても、神は常にそれよりも多くの天使を我々のために用意してくださる。
信仰によって、霊的現実を受け入れるときに、我々は、物質的現実に勝利できるのである。
2004年2月10日
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