共産主義者インターナショナルの事務総長であり、20世紀のマルクス主義理論家であるブハーリンは、12歳の時に黙示録を読み、反キリストになりたいと思った。聖書に「反キリストは大淫婦の子である」と書いてあるため、「母はかつて売春をしていたことを告白した」と述べた。
しかし、スターリンは、その彼をして、「奴は人間ではない。悪魔だ。」と言わしめた人物である。
ブハーリンは、スターリンによって逮捕され、処刑される直前に、妻にこう言った。
私はまもなくこの世を去るだろう。私はうなだれている…。地獄の機械を前にして、助ける者は誰もいない…。
(Roy Medvedev, Let History Judge (New York: Alfred Knopf, 1971), p. 183; cited in ibid., p. 51.)
ブハーリンは、数百万もの人間を処刑したギロチン――ソビエト連邦――を建設した一人である。その彼が、最後の最後になって、それが地獄で作られたことを知ったのだ。反キリストになることを望んだ彼は、かえってサタンの餌食になった(1917年の革命時にソビエト共産主義者中央委員会の29人のメンバー及び候補者だった者のうち、他人から命を奪われずに済んだ者は4人しかいない)。
スターリンの義理の兄弟で最も親しい協力者であったカガノヴィッチは、スターリンについて日記の中で次のように述べた。
私は、スターリンが、自分を神にしようとしていることに気づき始めた。彼には人間らしい部分がまったくない。…彼が感情を表す時ですら、それが彼自身から出たものでないように見えた。…ある理由から、私は、彼が永遠に生き長らえるように思えた。…
ローザ[彼の妻]によれば、彼は、ストッキング以外なにもつけずに、木登りをするという。…スターリンには、普通の人間と考えるにはあまりにも異常な部分が多すぎる。外見では普通の人のように見えるのだが。…
スターリンは、カガノヴィッチに、常日頃実践している自分の精神的運動について説明した。
私は、誰かに別れの挨拶をする際に、この人が四つんばいになって、食べたものを吐いている図を想像する。用を足すために席を立つ人に愛着を感じることが時々ある。…私はこの人が大便をし、トイレの空気を吸い込み、おならをし、ものを吐く姿を想像する。でも、この人に同情はしない。彼がこの地上で悪臭を放つのを止めるのが早ければ早いほどよい。私はこの人を心の中から抹消する。
ウァームブランドによれば、「スターリンの楽しみの一つは、馬の目に緑色の眼鏡をつけて、干し草を緑の草に見間違えさせることであった」(Op., cit., p. 52.)という。彼は、それを人間にも行った。無神論というサングラスを人々の顔につけさせ、神の牧場を見せなかった。
カガノヴィッチは次のように述べた。
スターリンは、何度も宗教こそ我々の最大の敵である、と述べた。彼が宗教を嫌ったのには多くの理由があったし、私もその点では同感する。宗教は、ずるがしこくて危険な敵である…。
スターリンは、すべての信仰者に対する最良の刑罰は、彼らから子供を引き離すことである、とも述べた…。
私は、彼がひそかに占星術を行っていると考えている。彼の一面にはいつも驚かされた。スターリンは、神や宗教について語る時にいつも、いくらかでも尊敬の念を抱いているのではないか、と思わせる口ぶりになる。最初、自分の錯覚だと思った。しかし、だんだん、それが事実だと気づいた。この話題が出ると、彼はいつも自分の言葉に気を遣った。…はっきりとしたのは、神や宗教への対し方が非常に特殊だということだ。たとえば、彼の口から直に「神は存在しない」と聞いたことがない。…
スターリンの前で、人々は、自分自身の本当の姿を隠した。彼らはみなスターリンをほめたたえ、礼拝した。スターリンが国民を愛していたとは思わない。彼はそれを超えていた。奇妙に聞こえるかもしれないが、スターリンは、以前は神にのみ与えられていた地位に就いたということだ。
スターリンの協力者の多くが彼を悪魔的と評していることに注意すべきである。
ユーゴスラビアの共産主義指導者ミロヴァン・ジラスは、個人的にスターリンをよく知る人物であるが、次のように述べている。
スターリンの悪魔的な力とエネルギーは、「共産主義運動と、それに関わるすべての人々を混乱と麻痺に陥れ、その中で彼の恐怖統治を実現する」際に如実に現われる。…
(Milovan Djilas, Strange Times, “Kontinent,” 33, p. 25; cited in ibid., p. 54.)
また、ソ連の支配者階級について次のように述べた。
彼らは、未来の無階級社会において社会主義の理想が実現すると信じているふりをしているが、実際のところは、組織的権力以外の何物も信じていないのである。
(Ibid.)
スターリンの娘スヴェトラーナ・アリルイェヴァは、サタン崇拝についてまったく知識がないにもかかわらず、次のように述べた。
ベリア(ソ連内務大臣)と、私たちの家族全員との関係は悪魔的であると感じられるのです。…ベリアは、恐ろしい悪魔です。…恐ろしい悪魔が私の父の魂をさらったのです。
スヴェトラーナは、「スターリンは、善良と寛容は、最大の犯罪よりも悪いと考えていた」と述べた(Svetlana Alliluyeva, Twenty Letters to a Friend (London: Hutchinson, 1967), pp. 64ff; cited in ibid., p. 54.)。
スターリンは、マルクスやエンゲルス、バウアーと同様、かつてクリスチャンであった。
15歳の時に、最初の詩を書いた。その書き出しは、「大いなるかな。全能の神の御摂理。」であった。召命を感じたので、神学校に入学した(Paloczy Horvath, Stalin (Germany: Bertelmannsverlag); cited in ibid., p. 56.)。しかし、その後、ダーウィン主義に触れ、進化論者になり、ついでマルクス主義者になった。
彼が最初に自分につけた別名は、「デモノシヴィリ」(Abdurakhman Avtorkhanov, Criminals in Bolshevism (Frankfurt-am-Main: Possev Verlag, in Russian), Grani No. 89-90, pp. 324, 325; cited in p. 56.)であった。これは、グルジア語で「悪魔的」というような意味であった。次につけた別名「ベソシヴィリ」(Abdurakhman Avtorkhanov, The Provenience of Partocracy (Frankfurt-am-Main: Possev Verlag, 1973, in Russian), pp. 198-201; cited in p. 56)も、「サタン的」という意味であった。
この他にも、マルクス主義の指導者がサタン崇拝者であったことを示す証拠はいくつかある。
ソ連の元帥で赤軍の幹部の一人であり、後のスターリンに殺されたトゥカチェフスキーの娘トロイツカヤは、トゥカチェフスキーが、普通ロシア正教徒がイコンを置く寝室の東角に、サタンの絵を掛けていたと述べた。
アルゼンチンのテロリスト組織の指導者の一人は、自分に「サタノフスキー」というあだ名をつけた。
何人かの最もすぐれた知識人を共産主義者に導いた有名なフランス共産主義作家アナトール・フランスは、サタン崇拝の儀式を執り行った。儀式に使用した椅子の肘掛には角がついており、足には山羊の毛皮が巻かれていた(Express, Paris, October 6, 1979; cited in ibid., p. 56.)。
カール・マルクスの遺体は、イギリスのサタン崇拝者の中心地ハイゲート墓地に埋葬されており、そこでは、黒魔術の神秘的な儀式が執り行われている(Tempo. Italy, November 1, 1979; cited in ibid., p. 57.)。
ウリケ・マインホフ、エゼリン、その他のドイツ赤色テロリストたちも、オカルトに関わっている(H. Knaust, The Testament of Evil; cited in ibid., p. 57.)。
毛沢東は、「八歳の時、私は儒教が嫌いだった。私の村には儒教の寺院があった。私の願いは一つだった。それは、この寺院を土台から破壊することだった。」(Manfred Zach, Mao Tse-tung (Esslingen: Bechtle Verlag, 1969), p. 13; cited in ibid., p. 57.)と述べた。
八歳の子供が自分の宗教を破壊することしか望まない?明らかに異常である。
悪魔に憑依されると、自分の年齢をはるかに超えた思考をするようになる。まだ中学生だった神戸児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗が創作(一部引用)した次の詩は、明らかに憑依された人物の精神が本人の年齢と不釣合いであることを示している。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」
魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているのである。
「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた。」
すでに引用した青年マルクスの詩と類似しているのがお分かりだろうか。