救世軍山谷大尉の再建主義論に反論する28
<Y>
1.奴隷問題
>パウロは、その他の個所において、「奴隷の状態で召されたの
>なら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身に
>なれるなら、むしろ自由になりなさい。」(1コリント7・21)
>と述べており、奴隷制を是認しているわけではないということ
>が分かります。
是認している、というようりは、容認していると言った方が正確ではないかと思います。
再建主義の債務奴隷制度容認論は、上記のパウロの容認の言葉に根拠していると考えてよいでしょうか?
そうしますと、福音主義者ウィルバーフォース卿の奴隷解放運動は、聖書に明確な支持を持たない「自律的原理」ということになりますか?
<T>
(1)
「再建主義が奴隷制を是認しているなどということはまったくない、ということをここで、『ハッキリ』宣言しておきます。」
という文章を読みながら、
「再建主義の債務奴隷制度容認論」などと言う。
偏見を捨てないともう話しにならないですよね。
それとも、何度も相手に同じことを主張させたいんですか?
(2)
イギリスのピューリタン革命や名誉革命などにおいて、カルヴァン主義者が、王権を制限し、議会の自由を獲得したことからも分かるように、カルヴァン主義は、最大多数の人々に可能な限りの自由を提供することを目指すものですね。
再建主義も、このような自由の拡大は、「地を従えよ」との命令の実現であると考えます。
人間は、神によって平等に造られたのだから、社会的な規制によって人々から自由を奪うべきではない、と考えます。
(3)
ラッシュドゥーニーの『聖書律法綱要』は、「律法は自由を与える法である」と主張しています。
それに対して、人間の「自律的原理」は、サタンに起源をもつものですから、結局、人間を奴隷化すると考えます。たとえば、性革命などです。性の解放によって、人間は、むしろ、奴隷化されます。
(4)
「議論」するには、まず、再建主義についてうんぬんする前に、人の書いたものをじっくり読んで相手が何を言いたいのか落ち着いて判断できる力が必要ですよね。
2004年1月9日
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