『福音と世界』(2003年12月号)栗林輝夫氏のエッセイ「宗教右翼は神国アメリカをめざす――統治の神学、キリスト教再建主義、セオノミー」への反論3
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教会はサタンから地上の統治を奪還するために設けられた神の制度である。それゆえ教会はキリストの再臨に備えて、地上のすべてを教会の統治下に収めねばならない。立法、行政、司法といった社会的機関、経済はもとより娯楽産業といった公共文化の一切も含めて、それらを悪魔の手から奪回して清めねばならない。それが完了したとき、キリストは再臨されるにちがいない。
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「それゆえ教会はキリストの再臨に備えて、地上のすべてを教会の統治下に収めねばならない。」
再建主義の別名と言われる「統治神学」は、地上のすべてをキリストの統治下に収めねばならない、と説くのであって、「教会の」統治下に収めねばならないとは主張いたしません。
統治神学は、教会と国家と家庭と個人は、互いに対して上下関係のない独立した領域と考えており、教会が他の領域を支配する教会絶対主義を誤謬としています。
ラッシュドゥーニーは、この教会絶対主義を Churchanity (教会教)と名づけ、繰り返して否定しています。
国家は「義の僕」として法を適用し、悪を罰します。
教会は「恵みの僕」として、人々に対する神の霊的・肉体的祝福を取り次ぐ働きをします。
家庭は、労働によって地を開拓し、そこに神的文明を建設するために働き、次世代をこの使命のために育成します。
個人は、神に対する絶対献身を自分のすべての行動と思考において表現する責任があります。
各領域は、それぞれ独立して活動し、直接神に対して責任を負い、自分の領域に関しては、他の領域からの支配を受けません。
この諸領域の独立性により、「多様性」が確保されると同時に、神の法に対する献身により「一致」が確保されます。
これにより、全体主義も、無政府主義も避けることができます。
教会が他の領域を支配下に収めるべきと主張すれば、中世ヨーロッパに逆戻りしてしまいます。
参照:http://www.millnm.net/qanda2/42o232fLH3NcQ87458.htm
2003年12月7日
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