フルプレテリズムとパーシャルプレテリズムに関する質疑応答


(Q1)第一コリント13:8〜10について
千年王国では預言の賜物や知識が廃れた状態なのでしょうか。「完全なもの」が現れたのでしょうか?

(A1)
「完全なもの」とは、「死」と「再臨」です。
人間が死ぬか、再臨の際に天に挙げられるときに、人間は完全な知識を得ますので、預言の賜物や知識はすたれます。

カルヴァンは次のように言います。

「パウロは、完全なものがやってくれば、不完全なものを補うあらゆるものは廃れる、と言う。しかし、その完全なものとはいつ来るのだろうか。それは、まさしく、死とともに始まるのだ。というのも、我々は死ぬ時に、肉体を脱ぎ捨てるだけではなく、多くの欠点をも脱ぎ捨てるからである。…それゆえ、我々の信仰は、現在、神を不在者として見ているのである。なぜだろう。我々の信仰は、神の御顔を[直に]見ているわけではなく、鏡の中にその御姿を映すことで満足しているからである。しかし、我々がこの世を去って、神の御許に行く時には、神を間近に、目前に見ることになるのだ。」(Calvin, John, Calvin's Commentaries: 1 Corinthians, (Albany, OR: Ages Software, Inc.) 1998).

預言や異言を否定する人々は、この「完全なもの」を「聖書啓示の完成」と考えます。つまり、聖書66巻が完成したことが、「完全なもの」を意味するから、それ以降は預言や異言は廃れたと述べます。しかし、この説を証明する個所はありません。

(Q2)第一コリント15:42〜44について
私たちは既に「朽ちないものによみがえさせられ」「御霊のからだによみがえらさせ」ているのでしょうか?

(A2)
いいえ。
私たちが「よみがえった」と聖書で言われているのは、「霊的よみがえり」です。
フルプレテリズムは、「からだのよみがえり」は、キリストを信じた人が死ぬ時に、与えられるものであると言いますが、それを証明する個所はありません。

パーシャルプレテリストは、二度の復活を主張します。「第一の復活」はこの地上において、キリストを信じた時に起こる「霊的復活」であり、「第二の復活」は再臨のときに起こる「からだの復活」です。
クリスチャンは死ぬと同時に天に移され、そこで霊的状態のまま再臨を待ちます。


(Q3)黙示録7:16〜17について
私たちは既に「飢えることもなく・・・彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」状態にあるのでしょうか?

(A3)いいえ。
フルプレテリズムはもうすでにそのような状態(黙示録20章の新天新地)にあるといいますが、パーシャルプレテリズムは、新天新地はまだであると考えます。イザヤが預言した、キリストの初臨の際に到来した新天新地は、「死ぬ者がいる」新天新地ですが、黙示録20章の新天新地は「死のない」状態ですので、区別すべきです。


まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。…百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。 (イザヤ65・17、20)

また私は、新しい天と新しい地とを見た。 …もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(黙示録21・1、4)


(Q4)黙示録20:12〜15について
「死んだ人々は・・・さばかれた」とありますが、イエスを御子と信じる私たちは「さばかれない(ヨハネ3:18)のではないのでしょうか?また、このさばきはいつ、なされるのでしょうか?

(A4)
さばきは、歴史の最後に行われます。フルプレテリズムは紀元70年に起こったといいますが。

ヨハネ3・18の「さばかれない」は、「刑罰に遭わない」という意味です。クリスチャンは、キリストにあって、罪を処罰されているので、刑罰に遭う事はありません。しかし、クリスチャンにも、その人生において神の御国のために何をしたのか、という「報いへの評価」という意味のさばきは残っています。御国のために労した人々には栄光が与えられますが、神の御心を知りながら、何もしなかった人は報いを受けることができず、「しもべとしての懲らしめ」を受けます。

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。 (2テモテ4・8)

主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。 (ルカ12・47)


(Q5)黙示録21〜22章について
フルプレテリズムでは、この光景も既に成就していることになるのでしょうか?

(A5)
そうです。


(Q6)第一テサロニケ4:14〜17について
プレテリズムの立場では、この再臨・携挙は既に起こったことと解釈されるのでしょうか?

(A5)
そうです。

 

 

2004年3月14日

 

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