クリスチャンはユダヤ暦に固執すべきではない
> http://www.millnm.net/qanda/holyday.htm
> のページで1月14日は過越しの記念日で金曜日に固定されていたとありますが、
> http://www.shalom-messianic.org/f_study.html
> のページによると過越しの祭りは今の3から4月にあたり、日にちは毎年異なるとあり
> ます。
> どちらが正しいのでしょうか?
これは、メシアニック・ジューの人々が、本当に聖書が記している暦の制度での過越日ではなく、ユダヤ人が現在守っている暦の制度での過越日のほうを聖書の暦と誤解しているからです。
今日の天文学的に正確な暦制度とは異なり、もともと、聖書の暦の制度において、1月1日がいつであるか、正確には指定されていません。
最も古い時代に、1月1日は、祭司の判断によって決定されていました。
祭司が月の満ち欠けを見て、新月と思われる日を1月1日と決定し、そして、それから数えて14日目を過越祭と指定していたのです(The International Standard Bible Encyclopedia, "Calender", (The Howard-Severance Company, 1915))。
聖書の時代の1ヶ月の日数や閏年の入れ方など、今日の我々の暦制度とは非常に異なるので、「サバトはいつにすべきか」とか「聖書は日曜日を安息日とはしていない。だから土曜日だ。」などという議論はまったくナンセンスです。
異邦人も契約に入った新約時代において、このような古代ユダヤの歴史的・民族的に特有の制度に固執することはできません。
もし、聖書律法を字義的に忠実に遵守したいならば、7年目の安息年やヨベルの年を丸々1年間守らねばならないということにしなければ首尾一貫性はありません。もし、1年とか2年丸まる休まねばならないというならば、「すべての国民を弟子とせよ」というイエスの命令を忠実に守り、諸国民に律法を守らせることは、「世界経済の破壊」を意味します。
その他にも聖書には、月の第1日目を必ず安息日にしなければならない、とか、数々の安息日があり、こういったすべての律法の規定を守らなければならないと言うならば、キリスト教は世界宗教になることはできません。
旧約聖書に記されたこういった暦に関する制度、祭り、などは、「民族的規定」であって、「古い皮袋」に属します。
パウロは、このようなものを「幼稚な教え」と呼んでおり、そういったものに帰ることを「奴隷になること」と述べています。
「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。 」(ガラテヤ4・9-10)
過越の日について:
出エジプト記12・2によると、「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」とあり、それは、13・4を見ると、「アビブの月」といわれています。アビブの月とは、13・4、23・15、34・18、申命記16・1にある「ニサンの月」の旧名といわれており、現在我々が使っている暦で言えば、「3月から4月にかけての月」です。
過越(=出エジプト)は、アビブの月の14日に起こったと記されています。
「あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり…。真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。…パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。『おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中から出て行け。…』 エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。…」(出エジプト記12・6、29-33)
神は、この出来事を記念として、1月14日に過越を行うよう命令されました。
「第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。」(レビ23・5)
「あなたがたはこの月の十四日の夕暮れ、その定められた時に、それをささげなければならない。そのすべてのおきてとすべての定めに従って、それをしなければならない。」 (民数記9・3)
「彼らはシナイの荒野で第一月の十四日の夕暮れに過越のいけにえをささげた。イスラエル人はすべて主がモーセに命じられたとおりに行なった。」(民数記9・5)
2003/05/29 17:27:16
2004年2月28日
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