政治は神と無関係とする傲慢は裁かれる

 

イラクの国連施設の爆破により、アメリカの戦後統治に疑問符が打たれようとしているという。

この世の人々は、ブッシュ大統領の失敗を、政治的手法の問題に見るかもしれないが、我々クリスチャンは、神の法という観点から見るべきである。

ブッシュ大統領は、所属教会の忠告をも無視して、力に頼った。軍事力によって、無理なことをごり押ししてもよい、という姿勢は、「この世界は、神の御手によって支配されていない」と告白するようなものである。

本当のクリスチャンならば、所属教会のストップがかかれば、その権威を重んじて、政策を変更するか、所属教会を変えるかどちらかにするはずである。もし所属教会の意見が間違っている場合には、それなりの説明と理由が必要だろうし、また、戒規をも甘受すべきであろうが、所属教会が戒規の手段に訴えていないこともあり、問題はうやむやになっている。

ここにおいて、教会の権威は軽んじられ、その権威を立てた神の権威が軽んじられたのである。しかし、アメリカのファンダメンタリストクリスチャンたちは、このことをまるで理解していない。

教会の権威を軽んじるな、と訴えている者もいない。

かつては細川首相が、そして先日小泉首相が、「神学論争をしてもはじまらない」というようなことを言っていた。これは、神を冒涜する言葉である。神の御言葉に関する論争を、「非現実的で無意味な論争」と考えているからである。

ラッシュドゥーニーは、「冒涜的な」を意味する英語profaneは、ラテン語のprofanusから来ており、proは「の中から」「の前に」を意味し、fanusは「神殿」を意味する、つまり、「神殿外の」「神殿とは無縁の」を意味すると述べている。

この世界は、すべて神の創造によるのであり、神の神殿と無関係なものは一つもないのである。

私が、イラク戦争においてブッシュ大統領が失敗することを望んでいるのは、この戦争の不道徳性だけではなく、大統領の「政治は神に属する事柄ではないとする世俗的傲慢」が裁かれて、神や神に属することを軽んじる風潮が是正されることを望んでいるからでもある。


 

 

2003年08月20日

 

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