再インストールが必要である
ディスペンセーショナリズムの問題は、聖書によらずに時代を細かく分けて、それぞれにおいて統治原理を変えることにある。
だから、新約時代になっても、聖書時代と我々のいる現代とが異なる統治原理のもとに置かれていると考えるのである。
たとえば、今日の教会は、「除霊」ということを行わない。
なぜならば、「それは聖書の時代の話」だからだ。
しかし、聖書の中に、「これは聖書の時代だけの現象だ」と記された個所はない。
聖書の裏づけがないことを大胆に主張することは、背教につながる。
我々は、今日でも除霊が必要である。
個人的な体験として、自分で自分の中にいる霊を追い出すことによって、心が非常に軽くなり、体も軽くなることがしばしばである。
除霊をしない教会は盲目である。多くの悪霊の攻撃を受けているにもかかわらず、その悪霊を見破ることができないというのは愚かだ。
悪霊について言えば、「権力は真空を嫌う」という言葉がふさわしい。
サタンとその軍勢は、人間世界において覇権を取ることを目指している。だから、真空ができれば、そこにすばやく入って、占領する。
これは、コンピュータセキュリティになぞらえることができる。
サーバーには一日に膨大な数の不正アクセスがあるという。ハッカーは少しでも隙があれば、そこから侵入することを目指している。
聖書では、信仰は「悪魔の火矢」を防ぐ「大盾」と呼ばれているので、ファイアーウォールに例えられる。
今日の教会の致命的な弱点は、
(1)ハッカーはいない。それゆえ、
(2)ハッカーがサーバー内に侵入することもない。それゆえ、
(3)ファイアーウォールを設置する必要もない。また、
(4)ウィルス除去もする必要もない。
と考えていることだ。
これは、すでにハッカーに荒らされ放題荒らされて、OSをそっくり敵によって書き変えられた状態に等しい。
自分の持っているソフトが使えなくなって「おかしいなあ」と思っているのだが、OSに組み込まれているソフトが使えるので、満足している。
ウィルスでも、目に見える症状が出るウィルスは怖くない。まったくこちらの自覚症状がないウィルスこそ怖い。
「サタンは存在しない」というクリスチャンは、もう末期症状なのだ。
サタンが提供してくれたお手盛りの「キリスト教」に満足していない限り、サタンと対決しているという感覚が芽生えないはずはない。
今の教会は、もう一回ハードディスクを初期化して、システムを入れ替えなければならない状態にある。
ウィルスを駆除するだけでは足りない。OSそのものがすべて書き換えられているからだ。
リベラルやディスペンセーショナリズム、新正統主義、新福音主義などの異なるOSを捨てるために、全部HDを初期化しよう。そして、「聖書啓示は人間の認識の前提である」という本当に正しいOSを再インストールしよう。
2004年2月5日
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