もうすぐ終末だという言葉の恐ろしさ
ディスペンセーショナリズムは、1830年代から一貫して「今の情勢を見ると、黙示録の時代だと実感する」と言い、「世の終わりは近い」と叫びつづけてきました。無数の終末預言本が出版され、人々は、それを身震いしながら、また、興奮しながら読み、自分の生涯の間に終末が来ると期待してきました。
1830年代と言えば、日本で言えば、江戸時代です。もし幕末の頃に、ディスペンセーショナリズムの宣教師が日本にいて、沖合に停泊している恐ろしい様のペリーの黒船を指差しながら、「皆さん、これこそ、黙示録6章5節に記された『黒い馬』です」といえば、人々は「いよいよ、黙示録の時代が来た。世の終わりは間近だ!」と言ったかもしれません。
事実、ヨーロッパのあるディスペンセーショナリストたちは、「ナポレオン3世こそ、666だ!」と言っていたのです。
人間は、弱い者ですから、「自分は特別な人間だ」と考え、自分の目の前で起こったことを「とりわけ重大なこと」と考え、「自分は歴史の中で重大な時期に生きているのだ」と受け取る傾向があります。
世の煽動家たちは、この人間の弱さを利用します。
ヒトラーは、「アーリア人こそ世界の最も優秀な人種であり、ゲルマン民族こそ世界を支配すべき民族である」と人々の自尊心をくすぐり、支持を集めようとしました。
また、彼は、「ユダヤ人は世界を支配しようとしている。君達はまもなくこの劣等人種によって征服されるだろう」と危機感を煽りました。
「あなたは特別です。あなたは特別な地位につかなければならないはずなのに、誰かがそれを邪魔しています。このままだとあなたは、彼らによってひどい目にあうでしょう。」という煽動は、サタンがエバに行ったのと同じ方法です。
ディスペンセーショナリズムの出現以来、クリスチャンは、この煽動に乗ってしまい、実に180年もの間、何度も何度も繰り返し、現われては外れ、現われては外れた預言に踊らされてきました。
私自身、高校時代から社会人になりたての頃まで、ずっとハル・リンゼイなどの終末預言を信じていました。
しかし、この考えに基づいて落ち着いた社会生活は送れないということが分かって、それを捨てました。
長島一茂が1999年9月に結婚を発表しましたが、なぜその時期まで結婚しなかったのかと聞かれて、「1999年7月にアンゴルモアの大王が天から…、という予言を信じていたから」と言っていました。
「もうすぐ終末だ!」と言う言葉は、「未来を捨てろ!」とほぼ同じ意味を持ちます。
非常に危険な言葉だと思います。
2003年12月19日
ホーム ツイート