我々がこの世に残されている理由は?

 


プレ・ミレは、携挙によって世から取り去られることを望むが、イエスのみこころは、我々が「世に留まり」、悪魔から守られることにある。



「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。」(ヨハネ17・15)


つまり、イエス・キリストは、ここにおいて、

「クリスチャンを待っている運命とは、逃げるのではなく、悪魔と戦うことである」と言っておられるのだ。

しかし、ディスペンセーショナリズムの実質的な創始者であるJ・N・ダービーは、この御言葉と反対のことを唱えている。


「我々がこれから読む個所で学ぶべき教訓とは、『善が進展し続けることを期待してはならない。むしろ、悪が進展すると考えなければならない』ということである。

主の裁きの日が来る前に主を知る知識が地上を満たす、とか、地上において裁きが完成することを期待するなど、妄想である…。 キリスト教国は徹底して堕落し、異邦人の時代が不信仰の時代であることが明らかになった。

はたしてそれを回復することは可能だろうか。

否! 不可能だ。」(1840年にジュネーブで行われた説教: in William Kelly, ed., The Collected Writings of J.N.Darby, Prophetic no. 1, vol. 1 (Kingston-on-Thames: Stow Hill Bible and Tract Depot, undated), 471, 486))


無千年王国主義者マーチン・ロイドジョーンズは、先日亡くなったカール・F・H・ヘンリーとの対談の中で次のように述べている。


「世を改革するなど不可能だ。それこそ、なぜ私が、創世記1・28に訴えかけて社会的・文化的命令を説くことに賛同しないかの理由だ。

この教説は、人間の堕落を完全に忘れているように見える。世界をキリスト教化させるなど不可能だ。終末は、洪水の時のようだろう。今の世界の現状を見て確かに言えるのは、『我々は、かつてないほど熱心に、来るべき御怒りから逃れよと人々に訴えるべきだ』ということだ。」


このようなメッセージと、「彼らをこの世から取り去ってくださるようにとは願わない」という御言葉とどう調和させるのだろうか。

イエスの御言葉とロイドジョーンズの言葉とを並べてみよう。

キリストは、我々が取り去られることを願っておられない、と言われる。しかし、ロイドジョーンズは、「世を変えることはできない」という。

この2つの言葉をつなぎ合わせて起きてくる疑問は、「変えることのできない世界に我々が残っている理由は何か?」ということだ。

そう、伝道しかないのだ。

我々は、みな、「来るべき御怒りから逃れよ」と説いて回る終末を説く伝道師になる以外にはないのだ。

プレ・ミレとア・ミレが出家主義であるという理由がおわかりだろうか。

 

 

2003年12月15日

 

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