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2003/12/08 (Mon)付、『#SKJ677世界キリスト教情報』によれば、フィリピンにおいて死刑が復活した。
フィリピンのアロヨ大統領は12月5日、2001年の大統領就任以来、停止していた死刑執行を、誘拐など多発する凶悪犯罪に対処するた
め、来年1月から再開する、と発表した。同大統領を支持したカトリック教会の反対などで停止していたもの。
同国では、中国系フィリピン人を狙った身代金目的の誘拐事件などが多発し、中国系フィリピン人の団体などや経済界から死刑執行の再開を要望する声が強まっていた。
以上の記事から分かることは、
1.死刑が犯罪の抑止に効果があると信じる人々が多いこと
2.カトリック教会が聖書を絶対的権威として支持していないこと
だ。
来年5月の大統領選挙を控え、政権無策への批判が高まる中での同大統領の苦しい選択ではあるが、今後、カトリック教会や人権団体の強い反発は必至だ。
人権団体とは、一体誰の人権を守ろうとしているのか?
誘拐殺人された側か?それとも、した側か?
日光の猿を保護すると、猿が増えるように、誘拐殺人した者を保護すると、誘拐殺人が増えるのは当然である。
誘拐殺人犯にあわれみをかける国は、誘拐殺人犯を育てる無法国家である。
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ローリング・ストーンズの曲の中で、『悪魔をあわれむ歌』というナンバーがあるが、ミック・ジャガーはこれについて「この曲を演奏すると、いつも何か変なことが起きるんだ」と言った。
事実、この曲の最中に、客席で、観客警護に当たっていたヘルズ・エンジェルスのメンバーが客の一人を撲殺したということがあった。
悪魔をあわれむことは、悪魔に隙を与えることだ。
悪魔は悪いことしかできないので、人間の善意を利用してさらに何か悪いことをたくらむ。
悪魔をあわれむ人は、悪魔に利用される。