宗教を選ぶ場合は慎重に
『告白』というオウム事件に関するTBSの番組を見て、騙される人間の悲哀を感じた。
まれに見る「善人」林郁夫が、マインドコントロールによって、殺人にまで手を染めるようになる。
世間一般の常識からも、正しい知識からも外れてしまい、そこから抜け出すことができなくなってしまう、それほど宗教とは、人間を支配する力がある。
宗教とは、世界観である。
科学は、情報は与えられるが、世界観を与えてくれない。科学が与える情報や知識は、世界観を構築するための材料にはなっても、科学だけで世界観を作ることはできない。
世界観が変われば、自分が得た知識は、そっくりそのまま新しい世界観を築く材料になる。
人体に例えるならば、世界観は頭脳である。そして、知識は手足である。手足だけではなにもできない。頭脳が手足を動かすのである。頭脳がそっくり別人のものに変われば、手足は別人の命令に従う。
だから、林郁夫の学識は、オウムという世界観に占領された時に、オウムのために利用された。
世界観は、霊である。
思想と名のつくもの、すべてが霊の作用による。
「…悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていた」(ヨハネ13・2)
悪魔は、人間に思想を植え付ける。
思想は、人体で言えば人間の頭脳なので、「イエスを売ろうとする思い」を入れられたユダは、イエスに関する情報を利用して、悪事を働いた。
思想が変われば、それまで得た知識や社会的地位を、凶器に変えることができるということを、悪魔はよく知っている。だから、学識の高い人間はターゲットにされるのだ。
世にいう教養主義は、「教養を高めることによって悪を犯す機会は減る」と教えるが、悪魔の知恵を知らないからだ。
人間がどんなに最高の教養を獲得しても、悪魔の知恵はそれをはるかに凌駕している。
悪魔は、その「最高の教養」を自分の目的のために利用する。
結局、重要なのは、「どのような」霊に支配されるか、だ。
霊に支配されない、ということはありえない。
すべての人間が何らかの霊に支配されている。なぜならば、人間は世界観なしには生きられないからだ。
人間は、毎日の生活の中において、意味を見出しながら生きている。
この「意味」を科学は与えてくれない。もっぱら、その意味を与えるのは、宗教であり、世界観である。
一般の日本人は、戦後の民主主義、人権主義、無神論などの様々な「常識」という名の世界観によって支配されている。
その世界観によって、あらゆる出来事を評価している。
しかし、その世界観が正しいかどうか分からない。この世界観がぐらついた時に、悪魔は様々な宗教を提示して、そちらに鞍替えするように誘惑する。
オウムに入信した人々は、我々とあまり異ならない人間である。むしろ、純粋な人々のグループに入るかもしれない。
新興宗教がはやる時代は、既存の世界観が疑問視されている時代である。
世界観(宗教)の変更は、人生の土台のすげ替えを意味するから慎重であるべきだ。よく考えもしないで、何らかの教えを信じてはならない。
じっくり考えるべきだ。その教義に矛盾はないか。その教義を守ろうとしている人々は、逃げを打つ人ではないか。
質問された時に、きちんと良心的に、ごまかしなく答えていているか。
その宗教は、歴史的な試練を経て生き残ってきたものであるか。それとも、歴史の中で反撃されて一度廃れたが、復活したのではないか(こういうのは危ない)。
それは、世界中で信じられており、どのような実を結んできたか?
宗教に入信する時に、その宗教といっしょに霊が入ることを覚悟せよ。
あなたはその霊に支配されることになる。その霊の侵入を許せば、あらゆるものが、その霊のメガネを通して見ることになる。
この世界には、2つの霊しかない。
神の霊か、悪魔の霊か。
神の霊に支配されて、最高の人生を送るか、それとも、悪魔の霊に支配されて取り返しのつかないことをして人生を後悔でしめくくるか。
2004年3月6日
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