家庭内暴力をしている牧師は免職に価する


<fms様>

>メッセージが天才的にうまいある牧師は、語っている内容
>は、世俗心理学である。「受容」が彼のキーワードだ。子
>供に暴力をふるわれて困っている親に向かって「なぐらせ
>てあげなさい。彼はあなたの愛情を確認しているのですか
>ら」とアドバイスし、その人は、本当に殺されかかったう
>え、一向によくならなかったという。

fmsです。

富井様

これはひどい話ですね。実に不健全で低俗な心理学ですよ。クリスチャンにはこんなタイプを時々見かけますが、ほんと、悪臭を放つほどのマゾヒズムには我慢なりません。(笑)

マゾヒズムとサディズムは表裏一体なのかもしれませんが、奥さんや子供さんを殴りまわしている牧師の話が、あるキリスト教系の真面目なHPに出ていました。(実名で!)

息子たちも当然、不良になってしまい、アル中になったり、強姦を働いたりしたそうですが、それでも最近は牧師になるんだといって、がんばっているそうです。

クリスチャンや、クリスチャン家庭は、一般の人々よりも倫理水準の高い人々が多いわけですが、それでも中には不信者以上に悪かったり、不信者以上に心が、正式な精神病ではないけど、ビョーキだったりする場合があります。

家庭内暴力を振るっているような牧師は、本当は何も信じてないんじゃないかと、私などは考えてしまいます。

fms


<tomi>

聖書は、「妻に対する中傷」の代償を、途方もない金額に設定しています。

http://www.path.ne.jp/~millnm/sland.html

この金額を妻に支払うと、夫は妻の奴隷になるほどの額です。

まして、妻に対して暴力を振るえば、どのような代償を払うべきでしょうか。

今日、教会は、律法を捨ててしまったため、家庭内暴力について、正しい判断ができなくなっています。

世俗心理学の影響を受けた牧師は、奥さんに「黙って耐えてください」などといっています。

妻に暴力を振るう夫は、もうすでに夫の資格を失っています。律法は、妻の親は、夫を訴えることができると、定めていますので、訴訟を起こすことができます。

聖書は、「責任は一方通行ではない」と教えていますので、「服従はある限度を越えた時点で解消されます」。

http://www.path.ne.jp/~millnm/respo.html

暴力を振るう夫にまで服従する責任はありません。

律法を捨てた教会は、信徒に「マゾヒストになれ」と教える傾向が強く、実質的に「人間の奴隷となれ」と教えています。

聖書は、「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」(ガラテヤ5・1)と教えており、あらゆる形態の奴隷を避けるよう指示しています。

会社であれ、夫婦であれ、どのような形の奴隷制にも服従すべきではありません。

もし子供が親に暴力を振るった場合、その時点で、親は子供に対する責任から解放されます。

律法は、子供の親への暴力を死罪と定めています。

「自分の父または母を打つ者は、必ず殺されなければならない。」(出エジプト記21・15)

これは、「必ず殺せ」ということではなく、「最高刑が死刑」ということです。

ですから、親は子供を国家に訴える権利があります。

どのような刑罰を下すかは、親が決定でき、勘当することも可能です。

「殴らせて上げなさい」というような指示は、「律法を破りなさい」と教えているのと同義であり、それゆえ、その親子関係は、神の目に「忌み嫌われる」関係になります。

家庭内暴力をしている牧師は、当然のことながら、免職に価します。

そういう無律法な人をトップに置いておくことは教会にとって有害です。

 

 

2004年3月1日

 

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