多数派本文から直接訳して欲しい


旧約聖書については、現在我々が手にしているものでもよいのですが、問題は、新約聖書です。

ネストレは、昔、本文を研究する人々が、様々な写本を検討するための便利な道具として考案されたものです。写本の間の相違点を欄外注に添えることによって、いちいちすべての写本を開いて、比較検討する手間が省けます。

ビザンチン写本は、多数派本文(Majority text)に属するので、ビザンチン写本の印刷版が手に入ればよいのですが。

ネストレを見てもよいのですが、多数派本文を示すドイツ亀の子文字の「M」をいちいち見るのは面倒です(まったくもって本文研究家以外に役に立たないと感じます)。

日本の教会は、欄外注なしのキング・ジェームズ訳を忠実に邦訳して(もしくは、多数派本文を訳して)使用する必要があると思います。

我々が手にしている聖書は、宗教改革者たちが手にしているものよりも、むしろ、ローマ・カトリックが手にしている(W・クランプトンによれば、マイナーな互いに矛盾点の多い写本を使用することによって聖書本文にではなく、教会に権威を持たせようとした)聖書に近いというのは驚きであり、いかにサタンの攻撃が強いかを証明しています。

しかも、新改訳は、ディスペンセーショナリストが翻訳したもので、肝心要の部分が、非プレテリスト的に訳されており、あれを遣いつづけていれば、自然とプレ・ミレになります。

恐ろしいことです。

 

 

2004年2月1日

 

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