本当の栄光は誰に?


<hm様>

返信してくださりありがとうございます。本当に自分を誇りとしたり傲慢になっ
たりすると神様のことがわからなくなっていきますね。

また、悔い改めるというのは罪人だけど信じる意志が自分にはあると考えるので
はなくて私は神様に従って歩む以外にはない自分の意志や努力ではなく聖書を前
提に考え行動していくしかないんだ!って意識が人間から神様に心を向けること
かと思います。

神様の道は僕も本当に不思議だなと思います。僕は最近まで人から誉められた
い、友達が欲しい、いい生活がしたいって自分のことしか考えていなかったんで
すが、でもそうやって生きていてもなぜか思ったとおりになりませんでした。

逆に深く悩まず、自分の欲望のままに生きるのではなく、また自分の思想、体験
でもなく御言葉を第一にして生きていたら不思議と将来にたいする不安や人の目
を気にする事が自然と消えていきました。

そういう時に僕は神様を賛美したくなります。なんていうかこの世の論理の違い
というか神様の力の偉大さに。

ただ注意したいのはあまりにも私の意志、私の体験、知性よりも感性、御言葉を
学ぶよりも賛美歌を歌うのが重要だ!とならないように気をつけたいと思いま
す。

それから富井先生がおっしゃったように人間誰しも失敗や試練、挫折を経験して
いく中で自分を誇りとし義とする心がうち砕かれるんだなと思います。

<tomi>

感謝します。
そのとおりですね。
非常にバランスのとれた考え方だと思います。

何かで読んだことがあるのですが、あるアメリカ人が、こういう内容のことを言っていました。

「私が、名誉を欲しがると、逆に恥を被り、金銭を欲しがると、逆に貧乏になった。神様の御名はほむべきかな。」

まさしく、神に愛されている人に対して、神は、この地上的なものに目を留めさせないために、逆のものをお与えになります。

カルヴァンは、「地上のものに執着しなくなった者は、神の学校において大いに進歩したのである」と言っています。

私のクリスチャンの友人の一人は、昔歌手でした。

ノンクリスチャンの時代に、東芝にスカウトされてレコードを出す話が出たのですが、録音の直前になって、社内の派閥争いに巻き込まれて没になりました。

その後も、いろんな話が出たのですが、すべて直前になってご破算になりました。

「自分の人生はなぜこんなに不運なのだろう」と嘆いていましたが、クリスチャンになってその謎が解けました。

「虚しいものに目を留めない」ための訓練だったのです。

本当の仕事をする人に、神は虚しい栄光をお与えになりません。

徹底してこの世を軽視できない限り、本当の世界は見えてこないのです。

世間はそのような人を「落伍者」とか「負け組」と見るでしょう。

しかし、神は本当の勝利を未来に残しておられます。

虚しいものに目をくれず、ひたすらにホンモノの栄光を待ち望む人にだけ、神は勝利を与えてくださるでしょう。

 

 

2004年3月1日

 

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